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成程話:心が折れそうになったとき
2012年12月27日 23:23
松岡修造氏の心に響く言葉より
心が折れそうになった時、何かに挫折した時、周りの人からの応援は大きな支えになります。
特に家族のサポートは、多くのことを気づかせてくれます。
浅田真央選手もご家族から沢山の応援を受けて成長してきました。
しかし、2011年のロシア杯での優勝後、最愛のお母さんを失うという不幸に見舞われました。
2010年2月、バンクバー冬季オリンピックで、浅田選手が銀メダルを獲った時のことです。
お母さんの言葉を番組を通して真央さんに伝えようということで、僕はお預かりした手紙を姉の舞さんに手渡し、スタジオで読んで頂きました。
番組が始まるまで真央さんはそのことを全く知りませんでした。
舞さんが読んだ手紙には[銀メダルを獲ってよかった]とか[金をめざしていたけれど…]といった言葉は一切ありませんでした。
そこにはこう書かれていたのです。
[真央が元気に、好きなスケートを思いきり滑ったことが1番の幸せでした]
メダルの色は問題じゃない。
我が子が今できることを一所懸命やり、怪我をせず無事に滑り終えたことを何よりの幸せだと感じる…。
親というのはそういうものなのです。
本番中に僕は感極まってしまいました。
手紙を読みながら舞さんは号泣していました。
真央さんは初めのうちはTVなので泣くまいと涙をこらえていましたが、ついに涙でお化粧が流れ落ちる程泣きじゃくりました。
その場にいたスタッフも全員泣いていました。
真央さんが銀メダルを獲るまでにどれだけの困難や迷いを経験したか、心が折れそうになった時でも自分を信じて滑り続けてきたことを知る人なら泣かずにはいられない手紙でした。
『挫折を愛する』角川oneテーマ21
浅田真央選手は今年12月にロシアのソチで開かれたグランプリファイナルで4年ぶりの優勝を飾った。続いて12月23日に札幌で行なわれたフィギュアスケートの全日本選手権の最終日に逆転優勝を果たした。疲れを取る為、日頃の練習量を減らすようコーチから言われているにも関わらず、毎日4時間の氷上練習と陸上トレーニングを欠かさなかった浅田選手は、結果としてそれが腰痛となって出てしまった。この二つの優勝も悪化した腰の痛みの中での優勝。負けず嫌いで人一倍練習する努力の人、浅田選手。
[『私は逆境の方が力を発揮できる』ってポジティブシンキングしたんです。追い込まれるのには慣れました]と言う。
人は闘病中や親の介護等、自分の限界まで一所懸命にやっている時[頑張ってね!]等といわれると、これ以上どう頑張ればいいのだと心が折れそうになり、萎えてしまうことがある。
頑張っている人には…[貴方がいてくれるだけで幸せ][頑張ってるね][貴方の頑張っている姿に励まされます]たったそれだけ言ってくれるだけで涙が出る程嬉しい。
このデジログへのコメント
達成感と辛さを天秤にかける様な弱気になってきた時、
廻りの人の励ましが、天秤その物を消し去るよね。
独りの力は…限界有りますよね。
周りの力になれる振る舞い…心掛けたいです。
マツミさん:私もそうなりたいです
S.ヒロさん:ですね!前向きになれます
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