- 名前
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- もう海外在住29年、定年もそろそろ始まり、人生のソフト・ランディング、心に浮かぶこと...
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State and Main ; 見た映画 June ’06 (7)
2006年06月22日 08:02
State and Main (2000年)
出演 :
*フィリップ・シーモア・ホフマン (ジョー・ホワイト)
*レベッカ・ピジョン (アン・ブラック)
*ウィリアム・H・メーシー (ウォルト)
*アレック・ボールドウィン (ボブ)
*サラ・ジェシカ・パーカー (クレア)
*ジュリア・スタイルス (カーラ)
監督・脚本: デビッド・マメ
上映時間 : 1時間46分
ホフマンがカポーティーを演じて評判になっていると聞いたので観た。
そのうちカポーティーのものを観ることになるのだろうが、この役者が脇役を演じているのをいくつか観ていて印象に残ったのはホフマンが「悪役、嫌われ役」を演じていたものだった。それまで嫌われ役が多かったように記憶している。
アル・パチーノが盲目の退役軍人で大統領の軍事ブレーンも勤めたこともあるけれど自分を厭ってこの世の名残にNYに出て楽しんだ死ぬつもりでそれを案内させるべく雇った高校生との交流を通じて回生するという話だったようで、その映画「Scent of Woman」(1992)のなかで案内役のまともな高校生が巻き込まれていた、これもアメリカの一面を見せる金持ちの阿呆な子弟がノシ歩きその甘ったれ学生の頭目がこの貧乏学生に無理強い強要して最後にパチーノが大演説を一くさり語って話をまとめる、という話の中で阿呆な学生を演じていたのだと記憶する。
で、この映画、State and Main では誠に愛すべき作家、脚本家をコミカルに演じているのだが、映画界の製作過程を「身内落ち」になりそうなところを引っ張っていったのがこのホフマンの性格だったのだ。
科白はともかく、しぐさに今までに悪役で見たものがいくつもあって、それがこういう風に植え替えられるのだなあ、と楽しんだ。 これは別にホフマンがうまいとかどうかということでもないのだろうが、人の仕草ということだ。 だから、この役者がこれからもこのパターンを続けていけば形態模写で使われることかもしれない。 古くはJ・スチュワート、J・ウエイン、J・ギャグニ−などが定番になっているように、この役者の「くせ」はあいまいに笑って、首を軽く振りながら誤魔化すかやり過ごすところだろう。 カポーティーをどう演じるのかが楽しみだ。
アメリカではこういう映画が好まれるのだろう。 企業内部のどたばたはR・アルトマンが今までに高級ドキュメンタリータッチの喜劇として作っていたが、これはそのレベルまでは達していないものの一定の塩胡椒は効いていると思う。
今はかなり中年の肉が付いてしまったA・ボールドウィンは思ったほどの演技が見られなかったものの、だが、その反面、映画監督、プロデューサーを演じたテレビドラマの脇役としてあちこちでみかける脇役達が一癖も二癖もある役をうまく演じていた。
それに、100年も取り残されたような田舎の町の純朴な人々というステレオタイプにも少々どうかと思うような砂糖菓子的ノスタルジアをばら撒いて、それが製作者の意図でもあるのだろうが苦笑をさそう、そういう映画である。 昔、日本の「ラジオの時間」というコメディーをみたが「ラジオ、、、」の方が出来がいいかな、と思うのはこの手のアメリカ的ユーモアに食傷気味だからだろうか。
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