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秋津温泉 ; 見た映画 June ’06 (7)

2006年06月23日 07:00

秋津温泉   (1962)


監督 …吉田喜重
製作 …白井昌夫、岡田茉莉子
原作 …藤原審爾
脚本 …吉田喜重
撮影 … 成島東一郎
美術浜田辰雄
音楽 … 林 光

【出 演】
岡田茉莉子・・シンコ
長門裕之・・・カワモト・シュウサク
芳村真理・・・デパートの売り子
清川虹子・・・タミコ?
日高澄子・・・?
殿山泰司・・・板前
宇野重吉・・・通俗作家アマミヤ
神山 繁・・・?
小池朝雄・・・?
東野英治郎・・金貸し?住職
吉川満子・・・?
山村 聡・・・カワモトの勤める会社の上司


吉田喜重のものは見たいと思っていて今まで見られなかった。 小林旭の「東京流れもの」だけだった。 それはそれとして、あの当時の颯爽と作品を作り出す監督、大島篠田吉田とみないい女優をさらっていき、吉田岡田茉莉子を嫁にした果報者である。 Only thebrave deservesthe fairの謂いか。
 
長門のこれでもかと繰り返されるぐだぐだ振りもいいのだが話の展開としては何としてもこの監督の力が充満しているのは着物姿が美しい岡田であり、17年の流れていく歳月をその齢にあわせた着物姿を纏わせて彼はそこに人形師の技で渾身対峙する。 

戦後ごろごろいたような似非インテリ駄目な男、疲弊して捩れた社会で後には純文学を齧りながら才もなく鬱屈し、通俗文学と蔑みながらも芽が出る作家同棲する女の兄であると嫉妬に炎が湧き上がる。 この当時のメロドラマによく現れたステレオタイプの駄目男に屹然と対峙する、望むべく自然を象徴するものとしての女、岡田、原初より女性は太陽であったというテーゼを配置してその関係の変遷がこの物語である。 

この映画で号泣するシーンは2回、初め女が終戦に際して2時間も泣き続け、そのとき泣けなかった男が最後にこの女の自死に接して号泣する。 敗戦号泣する17歳の女を見て男は生きることを教えられたという。 女は話の終わりに世界にはもう何も残っていないことを自覚してこの話の始まりで男が立っていた虚無、しかしこの虚無の差異は愛の存在を巡ってであり、男の虚無にはこれが欠落していたのだが、ここに至り女は男が出来なかったことを遂げ、それに臨んで男は初めて号泣する。 ここでの男の心に去来するのは女への愛惜ではなく、自責か繰り返される韜晦自己愛であると解される。 

ここでは女の論理は直情であり、男は虚無と堕落を彷徨う存在としてあり、この二つの号泣には接点はない。 

この話で愛憎という言葉を試しに置いてみると、ここではこの言葉から「憎」が脱臼している。 それが当時から連綿と数多あったメロドラマから辛うじて逃れられている理由であろう。 けれども叙情的なメロドラマのシーンは美しく示される。 別れに際して夜の津山プラットホーム蒸気機関車汽笛、桜が舞う津山城址から望む二人のはるか遠景に一瞬見える祭りの行列、これらはメロドラマの背景としては申し分のないものである。

岡田の美しさは限りのないものであるのだが、映画のあといつまでもこころに引っかかり残るのは男の行く末であり多分この男はそのまま変わらず結局は韜晦の生を続けるものと想像される。 吉田は結局、我々に美だけではなく現実的なざらつく荒野を同時に提示するのである。

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