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思い出す声

2006年06月25日 00:25

帆足まりこ、正確な綴りは承知しないがもうほぼ40年ぶりぐらいにこの名前が急に頭に浮かんだのは今日の昼、恒例の水遊びに市営のプールのに出かけて今日は泳げないよ、と受付のオバサンにいわれてそこがこの日学年が終わった中学生の100人程度が夏休み前に全館貸切にしたプールで、面白おかしく色々なゲームクラスの得点を競う子供達と先生達のパーティーを大きなガラス越しに眺めながらから、まあ、仕方ないかと車に戻ってなんとなくゆったり発車したあと車中で聴いたオランダFM局の女性アナウンサー番組の声を聴いていた時だった。

この女性アナウンサーは週2回食事の後洗い物をするときによく聞く、文化、芸術メディアを話題にしてゲストを招いてインタビューするトークショーのホステスで適宜に情報を聴くものに付け加え、穏やかな調子でゲストからの話を引き出しながらも時にはちくりとするコメント加えるという中年女性なのだろうがなかなか才のある人なのだ。 只そういう才人なら沢山いるのだが、ここで心に残り惹かれるのは声の質である。 個人の好みは多様であるからそうするとこれは私の個人的な嗜好なのだろうが、声に艶、色気があるのだ。 色気といってもそれは性の興奮を催させるそのせつなさ、鼻にかかるか、そういう状況のセクシーさではないのだが、まあしかし、つきつめるとそのエッセンスが多少とも含まれていないでもないかもしれないが、要は真面目な話の中の声の質、ということなのだろう。

こういう番組を聴くときには語る言葉の論理、語彙、抑揚、話の遅速、声が通るかどうか、それにそれらを加味してそこはかとなくたち顕れる人柄、というようなも総合されたものから我々は顔を見ずして想像する。 それは視覚から離れた声が作り出す作用である。 この20年ほど視聴覚メディア視覚に重きが移る傾向を往々にして色々なところで経験するのだ。 音楽専門チャンネルなどが視覚重視で、喉を使う技術と艶、音質をもともとのウリとしていたものが後退するのを見るとき我々は聴覚を後退させているのではないかという思いもどこかをよぎる。

そこで、このアナウンサー司会者テレビに現れないことを望む者である。 聴覚の中だけに置いておきたく視覚に邪魔されないで欲しいと思うからでもある。

さて、帆足さん、穂脚、ホアシマリコさんであるが、この人60年代にS盤かL盤かのなんとかアワーで当時のアメリカ中心、西洋ポピュラー音楽の案内人であったのだが、今で言えばDJなのだが、今の若い人のDJとはまるで雰囲気が違う。 

同様にオランダに住み始めてFMでクラシックのあとジャズ番組で同じくホステスを務めていたKristien Krijgsma(綴りは全く頼りない)の声にも強い魅力を感じた。

日常ネットラジオで聴く日本のアナウンサー達にも同様のことを感じるのだが残念なことにといおうか往々にしてそれらのホームページプロフィールにはどれも同じような、いわゆる、整った顔が並んでいる。

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