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中華料理屋でぼそぼそソバを喰っていたら、、、、

2009年02月15日 09:02

中華料理屋でぼそぼそソバを喰っていたら、、、、

纏まった金を銀行から引き出した帰り、昔、このあたりから喜望峰を巡りインドネシア、日本にも船出したと思われる古い港があり、その港といってもライン川支流の、それも河口から10km以上も内陸にはいったあたりで、それは日本の普通の「港」というイメージからはかなり遠いものではあるけれど、その「港」の近くにある中華料理屋に入って朝昼兼用の食事にした。

このあたりにはもう150年以上前にシーボルトが日本から持ち帰った大量の文物を保管してあった家もあり、また、カフェーが二三軒集まっているところでは5年か10年に一度ぐらいそこの客が例えば痴情の縺れからピストルで撃ち合いをして死者がでる、というような物騒なところでもあるのだがそんな風に誠に風情も興味も喚起される場所ではある。

けれど、この中華料理屋はそんな興味から最も程遠い、うらぶれた、年寄りか金のない旅行者ぐらいしか立ち寄らないような食い物屋だ。 特に2軒ほど隣のマクドナルドの様子と比べればその寂びれ具合が一際際立つ。 私はそこにはこの20年以上、年間2、3度立ち寄る、といったところだ。 別段旨くも不味くもない料理を出すのだが客があまりいないから静かで、大抵ひとりでボソボソと食事を済ませてまたどこかに行くのに都合がいいからだ。 

この日も読みかけ文学雑誌を手にこの店に入り「日本語が亡びるとき」と題した評論を読んでいて、これは日本語だけではなくほかの言語英語が世界語となり君臨している現状においてはたとえ政治、文化の分野で華を咲かせていたフランス語も今では死に体であるといい、特に日本語の衰退がそれに輪をかけていちじるしい、ということを述べている非常に面白い読み物だ。 少なくともオランダに住んで20年ほどぼんやりと頭の中に浮かんでいたことをはっきりとさせてくれる書き物だ。 日本だけに住んでいると英語の世界性というものは少々分りにくいかもしれないがこの20年ほどの間にオランダの中の日常生活にも英語加速度的に浸透してきていること、日本では活字が読まれない、良質の小説が売れない、一般に膾炙される小説が貧弱だ、一国の首相の漢字能力が情けない、などの事々を例として世界の趨勢、言語、特に日本語の位地を世界規模で論じた力の入った面白いものだ。 

それはともかくとして、ビールとワンタン麺を頼んでこの評論を読み進んでいくうちに店内に音楽が流れているのに気が付いた。 ピアノ曲がバッハからモーツアルトなどの所謂ポピュラークラシックとでもいうものでショッピングモールなどでかかっているのなら分るもののこういうのが寂れた中華料理屋から流れてくるのだと思っていたらそれが私が子供の頃に流行ったポール・モーリア楽団「恋は水色」になりそれが映画音楽ディズニーアニメの「いつか王子様が」になるとちょっと耐えられなくなる。 初めからずっと同じピアニストが淡々とこういうものを弾きつづけているのだから目の前に運ばれたワンタン麺の国籍ヨーロッパ産なのだということを否が応でも知らしめるものとなる。 

考えてみれば今までこの店で音楽か何かが流れていたかどうかを思いだそうとしても思い浮かばない。 たぶんそれがいらだちの理由の一つかもしれない。 しかし、ハーグにたまに行った時には昼飯や飲茶にする中国人街にある料理屋のメニューも中国語写真だけの料理屋でも香港ポップスとか演歌のようなものが流れているところもあるけれどそこでは決して柔なバッハやフワフワなモーツアルトヴィヴァルディなどかからない。  ヨーロッパのあちこちにある日本料理屋はどうかというと、日本人経営のところでは尺八がはいった民謡調のところが多いけれど日本料理屋といってもヨーロッパでは90%以上が中国資本、コックも日本人からならったり日本で修行したものなど殆ど皆無でそういうところでは日本の民謡に混ざって香港ポップや中国の音楽が多い。 しかし、そういうところでさえこういうクラシックはない。

人畜無害なポピュラークラシックまがいのピアノだけれどどうしてそれがこれほど私を苛つかせるのだろうか。 多分、自分の中の固定観念とか自分のパブロフの犬状態がそうさせるのだろう。 何もないいつもの寂れた中華料理屋の無音を想定していて、もし音があっても香港からだれかが送ってきた、安物の中国の胡弓の調べか中国演歌テープならこの質の貧しくやたらと量だけはあるどうみてもインスタントラーメンでしかないのびた麺がメインの「ワンタン麺」には適当だ。 ポピュラークラシックで喰うようなものではないが、しかし、考えてみえればこの組み合わせはその質という点でバランスが取れているのかもしれない。

アムステルダムの怪しい地区には小さな安い日本料理屋があってそこでは80年代の古いカラオケレーザーディスクで流されているのだが、それは宮沢賢治と同じく東北出身のオバサンから供される二流、三流の料理に合うバックグランドミュージックであり、それを世界各国からきてたまたまここに入った客たちがモニターに写ったノスタルジーにあふれる80年代の流行歌やその演歌ストーリーが写るものを不思議そうに眺めているのは様になるようでそれはそれで趣もあるのだがそこではヴィヴァルディは全くお呼びではない。

水っぽいハイネケンビールの小瓶とワンタン麺に12ユーロ(1400円弱)払って外に出たら相変わらず惨めな雨がびしょびしょ降っていた。

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