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思い出すことども ; 1983年頃 (1)

2006年06月08日 02:08

私が家人と知り合ったころは1983年ごろ、自分は学生用フラットの9階、3x4mの小部屋に住んでいた時だった。 オランダではそのころは車検もなく、醜いアヒルの子といわれたフランスシトロエンの一番安いぼろぼろの中古といってもほとんど中の部分がすりきれて古の部分まで腐食しているような、当時3万円ぐらいの車で私の住む街中から田舎彼女の棲家へと、片道30kmほどをえっちらおっちら行き来していた。 

彼女は自活して仕事も持ち、街の国立美術学校の陶芸、造形の学生だった。 貧乏学生の常、アルバイトをしながら自分のアトリエ、作業場を持たねばならぬ。 泥を捏ねまわすには体力もいるしこの造形作家には大きなスペースがいる。 日本では土一升、金一升ということが大都市では言われるが、程度の差はあれ近代資本主義の発祥地オランダゆえ、ここでも同じこと、それに国土が狭いところでは簡単にはスペースは手に入らない、特に街のなかでは。

60年代からの欧米の傾向で、市街、郊外を問わずあちこちの空き家、利用できる空間を共同で管理、自分達と考え方、様々なものを分かち合えると考える若者達が集まってコンミューンと呼んでいる共同生活空間(欧州共同体というのはスケールが大きいが政治的なコミュニティーではあるし、微細なコンミューンの資本主義的集まりといってもいいかもしれないもののここに当てはめるにはかなりぶれるようだ)が田舎のあちこちにあって潤沢な空間で周りと協調しながら大小様々に暮らしていた。 そのひとつに彼女も住んでいたというわけだ。

世間の偏見、狭量、退屈なスノッブに耐えられず、少しは落ち着いて考えながら試行錯誤をというような学生崩れが多かったようだし、落ちこぼれ、単なるぐうたら、また様々な市民運動政治運動のつづきでそのような集まりに残っている連中も雑多にいた。 

彼女が住んでいたところは広大な農業過疎地域にポツンとある大きな農家に夫婦と3才ぐらいになる娘と3,4人の単身者が敷地のあちこち、巨大な納屋のあちこちに自分でそれぞれ作業空間、住居部分を作って住んでいた。 食事は分担表に従って持ち回りでそれぞれが全員分を作り基本は菜食、肉食のものは各自自分の分だけを作るという具合で基本的には概ねゆるい菜食であり、食堂トイレは共同でシャワー、風呂はそれぞれが自分の部屋の周りに持っていた。 巨大な納屋の、かつては大きなトラクターが何台も収められていたところは金目のものは前の持ち主、大百姓が全て売り払い放っており、残されていたのは潤沢な麦わらのブロックと何十メートルもある大ホールだった。 酪農農家でなかったので家畜肥料の匂いはないし綺麗に整ってはいた。 けれど一直線に何キロも続くだだっ広い道に沿って近所といえば300mは優に離れており平行して走る前後の通りまではそれぞれ1.5kmほどの広大な畑の空間があるのみだった。

この棲家には犬も猫も何匹も飼っており、共同で飼育されていて誰にも満遍なくなついているのだがやはり飼い主とは密接に繋がり、誰と棲む動物かは訪問者には区別がつくようだ。 猫は温かみを求めて空間さえあればそこに居つくのだが、犬はひとにつく。 このような環境の中ではこのうちの猫にはほとんど食べ物を与えなかったのではないか。 というより、ここの猫は畑の周りに生息する小動物を獲っては自給食料にしていた。 猫用の固形食糧は用意してあったが主食となるような量ではなかった。 犬はさすがに自分で賄いするというわけにいかずそれぞれが犬用の食事を台所の隅に用意していた。 たまにはサッカーボールほどの屠殺場から冷凍直送の牛の胃を肉屋で買い解凍して食べさせたがそのときには新鮮な牧場牛糞の匂いがダイニングキッチンに充満して急に50頭ほどの乳牛飼育空間になったのだったが、フランダースの犬はこの発酵した牧草の詰まった肉の塊を狂喜しながら貪った。

時に応じては犬と一緒に散歩に出る。 街中では犬との散歩は排泄と運動という意味があるのだが、ここでは動物は放し飼いであるのだから必ずしもその必要はない。 純然とした散歩である。  農家の裏に広がる穀物、野菜畑の長方形のヘリをゴム長を履いて歩き廻るのだが600m、400m、600m、400mの一区画の向こうには同じような土地が続き、はるか向こうを豆粒ほどの車が時々走るのが見える。 たまには鹿がはるか向こうを飛び跳ねて林に向かうのが見えたりするし、たまには足元から野ウサギが慌てて飛び跳ねて去っていくことがありそれで却ってこちらの方が吃驚する。 犬はついたり離れたりしながら畦の前を先導したり興味にひかれて後ろに残っては何かを嗅ぎまわり、そのうち戻ってきて2kmほどのあぜ道を一周するのだ。 時々遠出して3,4kmの散歩では穀物の畑のヘリを歩いているときなどうちの猫が野鼠でも獲るのか走りすぎる姿がときどき見られたがこちらを認めて近寄ってくるということはけっしてなかった。 夜、暖炉からすこし離れて置かれた古い毛布の寝床にはいたし、そこから何メートルか離れた彼女の飼い犬とも共存していた。

20kgはゆうにあるベルギー,ブービエー種 (BOUVIER),少し赤味がかった光沢のある潤沢な黒毛の牧羊犬、雌の老犬であり、私は男性ということもあり相性もあるのか私が人間の彼女との関係を始めるにあたり犬の彼女からは嫉妬もされなかったようだ。 かえって人間の彼女がわたしと犬の仲を嫉妬したことがあるかもしれないぐらいだった。 

こういう散歩は麗らかな日の射す時には行わず、そういうときには簡単な畑仕事とか日向ぼっこをしたりそれぞれの日常活動に励むのだが、薄く霧のかかった世界が平らに灰色に沈み、遠くに微かに並木が見え隠れする秋、冬、早春に多かったようだ。 

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