デジカフェはJavaScriptを使用しています。

JavaScriptを有効にすると、デジカフェをより快適にご利用できます。
ブラウザの設定でJavaScriptを有効にしてからご利用ください。

成程話:本当の「愛」とは

2016年07月05日 23:27

今日のお話は考えさせられます。
二本立てです(^^)


あるお寺の庭にシカが入ってきて、芝生などを食べちゃったそうです。
そのとき、そこのお寺でいちばんエラいお坊さんが弟子たちにこうおっしゃったそうです。
「みんなで叩き出せ」
弟子たちは、師匠の言った通り、そのシカを追い出しながらこう思ったそうです。
「草ぐらい食べたっていいじゃないか」
師匠である、そのお坊さんは、別にいじわるで「シカを追い出せ」とおっしゃったのではありませんでした。
むしろ、別に草を食べたっていいんだ、と、お坊さんは考えているのです。
ただ、シカが人家に出てくるようになったら、きっと猟師さんに処分されるに違いない。
だから、シカは山にいたほうがいいんだ。
もう二度と里におりてこないよう、一度、叩き出して、痛い目にあわせる必要があるんだ、ということなんです。
愛って、お腹を空かせたシカに、草を食べさせてあげることも、確かに愛でしょう。
でも、シカが猟師さんに撃たれたりしないよう、山に逃げるように仕向けなきゃならない。
だから、一度痛い目にあったほうがいいんだ―――と考えて叩き出すのも愛。
その場しのぎのやさしさが「愛」につながるとは限らない。
一見厳しい処置に見えても、それが深い「愛」につながることがある。

絶対、よくなる!
斎藤一人
PHPより


このお話を読んで、行徳先生の「野鴨の哲学」という話を思い出しました♪

デンマーク郊外のジーランドという湖に一人の善良な老人が住んでいました。
老人は毎年遠くから飛んでくる野鴨たちにおいしい餌を与えて餌付けをしました。
するとだんだん鴨たちは考え始めるのです。
こんなに景色がいい湖で、こんなにおいしい餌がたくさんあるのに、何も苦労してまで次の湖に飛び立つことはないじゃないか。
いっそのこと、この湖に住みついてしまえば毎日が楽しく、健康に恵まれているじゃないか、と。
それで鴨たちはジーランドの湖に住みつくようになって、飛ぶことを忘れてしまうわけです。
しばらくはそれでもよかったんです。
確かに毎日が楽しくておいしい餌にも恵まれていましたからね。
ところがある日、出来事が起きます。
毎日餌を用意してくれていた老人が老衰で死んでしまったのです。
明日からは食べるものがない。
そこで野鴨たちは餌を求めて次の湖に飛び立とうとします。
しかし、数千キロも飛べるはずの羽ばたきの力がまったくなくなってしまって、飛ぶどころか駆けることもできない。
やがて近くにあった高い山から雪解けの激流が湖に流れ込んできました。
他の鳥たちは丘の上に駆けあがったり飛び立ったりして激流を避けましたが、醜く太ってしまった野鴨たちはなすすべもなく激流に押し流されてしまうのです。

本当のやさしさとは、
本当の愛とは、
とても考えさせられるお話ですね(*^^*)

このウラログへのコメント

まだコメントがありません。最初のコメントを書いてみませんか?

コメントを書く

同じ趣味の友達を探そう♪

  • 新規会員登録(無料)

プロフィール

なな♪

  • メールを送信する

なな♪さんの最近のウラログ

<2016年07月>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31