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書籍:財閥を築いた男たち

2015年05月27日 23:38

今日の紹介は、加来耕三氏の著書です。

財閥を築いた男たち
■加来耕三(著)


世の中は、「不易流行」で動いている。
永久に変動しないものと、常に新しくなっていくもので動いている。
起業家の心、志は前者である。
後者テクノロジーやITなど、仕事を進めていく「道具」の部分である。
後者に当てはまるものは、情報が古くなると利用できない。
2015年の今、MDやフロッピーディスクを使う人はいないし、マニュアル本も5年前のものを読んでもあまり意味がない。
最新のマニュアル本を読むべきである。
ならば前者の部分は、歴史上の人物からどんどん学んだ方がいい。
本書は10人の財閥を築いた男たちの成功へのストーリーをわかりやすく書かれています。
意外なのは、資金ショートなど失敗している人が多い。
その中で改善をしていき、大飛躍へつながったのです。
このストーリーは、現代でも参考になります。
特に、起業を考えている方、創業間もない方にはおススメです。
それでは特に参考になった話を紹介していきます。


三菱グループの創始者である岩崎彌太郎氏は、「地下浪人」と呼ばれる身分の低い立場であった。
さらには投獄までされてしまった。
しかし、本人は逆境にもめげなかった。
むしろ、逆境で学んだのである。
牢獄生活のなかで、思いもかけなかった意識転換のヒントをつかんでいた。
人間なにが幸いし、なには災いするか知れたものではない。
獄中の樵夫(きこり)から、商い算用の道を学んだのだ。
どんな状況からでも学ぶという精神が、後々の大きな活躍につながったのです。
どんな相手も状況も師と思うことで、得られるリターンはある。
投げやりになったり、こんな人からは学べないと思ってしまうのは、本当にもったいないことである。

坂本龍馬と岩崎彌太郎はいわば、仇敵の間柄であったといってよい。龍馬土佐勤王党の党員であり、首領の武市半平太の仲間であった(親戚でもある)。武市は彌太郎の身分を引き上げてくれた吉田東洋暗殺命令を出した張本人である。さらにいうと、その武市を獄死させたのは、東洋後継者後藤象二郎である。後藤の下に連なる彌太郎は、いわば龍馬と宿敵同然であった。
本来なら両者・両派は、行動をともにすることなど考えられなかったが、双方ともにお互いの利害関係で折り合った。
(P72~73引用)
今でこそ、同じ業界のライバル同士が手を結ぶこともあるが、龍馬と彌太郎はその走りでもある。
ムダな争いをするのではなく、協力することで利益を上げる。これは意外に難しい。
さらに、会社同士という広い枠ではなく、もっと小さい枠で例えてみます。
かつての私自身がそうだったのですが、同じ営業課長同士だと、何か意見を共有しすぎてはいけないと思ってしまう。
昇進のライバルになるからです。
でも、実はお互いに苦手なことを補足し合ったほうが、良好な結果になるのです。
「昨日の敵は今日の友」という言葉もあります。
敵は無理に作らないほうが、いいですね。

●「得意先の番頭小僧に頭を下げると思うから、腹が立つのだ。カネに頭を下げると思え」
彌太郎はそういって、一枚の小判を張りつけた扇子を部下の石川に与え、「今度、腹が立ったときは、この扇子を出して見たまえ」と諭した。
(P79~80引用)
拝金主義とも思える言動ですが、あながち間違っていない気がします。
なぜなら、無用に腹を立てることはマイナスでしかないからです。
怒りを抑えるための思考、また扇子を見て怒りを抑えるというような対処法は大切です。さしづめ、怒りを抑える方法は私もセミナー研修などでも伝えておりますが、その中の1つに「平常心になれる写真を見る」という推奨行動があります。
恋人や家族の写真、風景の写真ペット写真を見たりして心を落ち着かせる方法です。
怒りの感情が生まれるには、2つの段階があります。
まず、出来事の発生がして、その後に「怒り」が生まれます。出来事の発生から怒りまで、タイムラグがあるのです。
その間に心を落ち着かせれば、怒りを止めることができます。
私自身も、この方法を知ってから、無用に怒りを現すことはほとんど無くなりました。

浅野総一郎は毎日、味噌を竹の皮で包む仕事をあてがわれていたが、あるとき、この竹の皮は田舎では捨てられていたことに気がついた。
これまで、自分が事業に失敗したのは、ほとんどが運転資金に窮したからであったが、つきつめれば、仕入れに要する資金を、売上によって取り返せなかったからにほかならない。
「もし、仕入れ値が格段に低いか、そもそも必要がないものであったとすれば……」
その場合に要するものは労働だけで、売れればそのまま、すべてが利益になる。
「竹の皮は、タダであった」
総一郎の生涯を決定づける着想は、まさにこの一瞬に生まれたといっていい。
(P154~155引用)
仕入れの必要のないモノやサービスを売る。
ゼロから利益を生み出すビジネスモデルは、古今東西においても不滅です。
最近でいうと、自分が知らぬ間に身につけていた情報や知識を他人に教えるというビジネスがあります。
これは原価、元手がかかりません。
財閥というと、最初からお金持ちだったイメージがありますが、そうでない低い身分だった人もいます。
そういう方は、創業のスタートアップの時期、ゼロから生み出すを実践しています。

野村證券を設立した野村信之助は、冷静で客観的な情報、データを欲したが、決断パーセントを70に置いていた。
70パーセント成功率が読めれば、断固として行動した。
なぜ、70パーセントなのか。
信之助にいわせれば、人間は神様ではない。
だから100パーセントはのぞむべくもなく、それよりは不確実さの内、科学的確実性を70パーセントは確保したい、というのだ。
危険を恐れて99パーセントを求めても、日本経済は発展しない。
もっとも、企業家は無理をしてはいけない。
ここでいう無理は”無謀”のこと。
合理的な危険であれば、30パーセントはやむを得ない。
(P250引用)
確実にならなければ動きたくないという人は多い。
なかには、100%確実でないと動きたくないという人もいる。
この人は、ジリ貧状態になっていく。
なぜなら行動しないからだ。
無謀な行動はよくないが、70%の確率があったら動いたほうがいい。
70%を99%にしても、そんなに変わりはないからだ。
そもそも、失敗の可能性をゼロにすることはできないのだ。

このデジログへのコメント

  • SYUZO- 2015年05月27日 23:59

    70%の成功率なんて
    かなり高い方ですよ
    (  ̄▽ ̄)
    それより高い確率なんてそうそう無いでしょう

  • なな♪ 2015年05月28日 00:05

    SYUZO-さん:私もそう思います(^^)

  • なな♪ 2015年05月28日 23:59

    克己さん:私もまだまだです

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