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成程話:最後は人

2016年04月24日 23:19

医師、矢作直樹氏の心に響く言葉


仮に、自分の命があとわずか、それも一週間と判明したら?
おそらくほとんどの方が、本気でそんな想像をしたことがないでしょうが、そんな想像には意外と利点があります。
本当に大切なものが明確になるからです。
体の自由が少しでもきくなら、大半の人が身辺整理と別れの挨拶を選ぶでしょう。
仮にあなたが病で寝たきりとなっていても、周囲が気遣って本人が会いたがっている人を呼ぶと思います。
これは医療現場で繰り返される場面であり、そんな場面に触れるたびに、やっぱり最後は人だなと感じます。
あなたが最期に会いたい、暇乞(いとまご)いをしたいと心から思う人こそ、あなたが本当に大切に思っている人です。
それが身内でないこともあるでしょうが、別に悪いことではないでしょう。
その人に感謝していること、謝罪したいこと、思っていることを伝えればいいのです。
これまでの人生を振り返り、また会いましょう、と告げる貴重な時間です。
どんなお金持ちも、どんな有名人も、どんな幸せな人も、死ぬ時は一人です。
誰も付き添えません。
だからこそ、自分の中で揺れ動く気持ちの整理が不可欠です。
同時に少し現実的な話もすれば、いわゆる「人・物・金」の整理も急務となります。
遺(のこ)された人に迷惑がかからないようにするのは、「発(た)つ鳥」の作法です。
整理は余命を宣言されてから始める作業ではありません。
思い立ったが吉日で、今日から取り掛かるのもいいでしょう。
要は普段から考えておく、つまり「そこに少し意識を向ける」ことが大切なのです。
ある知人は、「余命一週間」のイメージを定期的におこなうそうです。
すると、大切なもの(こと・人)が時に変わることがあるのに驚く、とのことです。
でも、何も驚かなくても、それが私たち人間の本来のあり方なのです。
大切なものが変わっても、大切なものがあるという事実が変わることはありません。

『変わる 心を整え、人生を楽にする73のコツ』ダイヤモンド社


「浄玻璃の
鏡の前に立つまでは
秘めておきたし
あのことも
このことも」
という、相田みつを氏の詩があります。
人間には死んでから、あの世に持っていけるものが二つだけあるという。
一つは、「人に与えた喜び」。
もう一つは、「人に与えた悲しみ」。
しかし、どんな財産も、豪邸も、社会的地位も、そして自分の体も、あの世には持って行けない。
仏教では、亡くなってあの世に行く前に、誰もが一度は浄玻璃の鏡の前に立つといわれる。
生まれてから死ぬまでの間の、人に与えた喜びと、人に与えた悲しみが、走馬灯のように一瞬にしてその鏡の中に再現される。
人に与えた悲しみが多ければ、身もだえするような苦しさとなり、いてもたってもいられないほどの深い悔悟の念にかられ、針のむしろとなる。
人に与えた喜びが多ければ、無上の喜びがこんこんと湧いて、うれしくて、楽しくて仕方なくなる。
この世において大事なことは、「最後は人」ということに気づくこと。

このウラログへのコメント

  • kouji 2016年04月26日 17:08

    死は未知のことなので、あくまでも想像ですが、その人が究極的に執着したもが人生の最後に現われるのかもしれないと思っています。
    金だったり人だったり名誉だったり。
    美空ひばりは歌だったようですね。

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