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ネットの成程!話、いい話、素敵言葉

2013年12月13日 01:48

[ポジティブ]
人気カリスマ塾講師を経て、現在は年間百数十回にも及ぶ講演活動で全国を駆け巡っておられる木下晴弘さんのエピソード。
どんなに課題を抱えていても、あなたはすでにツイています。
私が塾講師を辞めて自分で会社を興したときのことです。
起業して1年目に私のセミナーを受けてくれた方はたったの5名でした。
ダイレクトメールを送ったり、あらゆる手段を使って広報したつもりでしたが、現実は厳しく反応はなしのつぶてです。
当時の私は、朝から晩まで1人でずっと注文の電話を待っていました。
「今日は鳴るかな」と思って事務所に行き、「もうすぐ鳴るかな」と思っているうちに夜になります。
たまに鳴った電話は間違い電話。そんな日々の繰り返しでした。
私は営業が得意ではないので、飛び込みで売り込んでいくこともできません。
ひたすら注文を待つという日々を過ごしました。
お昼どきになると「ちょっと、お弁当でも買ってきたいな」と思います。
しかし、「買いに行っている5分や10分の間に電話が掛かってくるかもしれない」と思うと、昼ご飯も買いに行けませんでした。
だから、毎朝コンビニで朝と昼と夜の分の食料を買って、朝の9時から夜の9時くらいまで鳴らない電話と過ごしました。
狭い事務所です。日が暮れてきて外が暗くなってくると不安になります。
孤独にもなります。
郵便物も何も届きません。たまに届くのは請求書でした。
しかし、その請求書でさえも「こんな私に何か送ってきてくれている」と嬉しくなるほどでした。
それまでの私は、塾の人気講師として収入にも恵まれ、守られた立場でした。
それがすべてゼロになって、お客さんは1人もいません。私はそのとき思いました。
「ああ、このままだと路頭に迷うな」
家族は私を信じてついてきてくれています。
すべてを私が裏切ることになるのです。
「自分は、何てことをしているんだろう」と心の底から思いました。
毎日「どうしよう、どうしよう」と考えていました。いわゆる、お先真っ暗な状態です。
そんなとき、ベンチャー企業経営者の集まりで、たまたまある会社の社長さんと 知り合いになりました。
そしてあるとき、「木下、飲みに行こうか」と誘われました。
「君のやっていることは間違ったことなのか、正しいことなのか、どっちなんだ?」
「僕は正しいことだと思います」
「では、それは誰かの役に立つことなのか?」
「はい、必ず役に立つと思います」
「正しいことをやっていて、それが人の役に立つことなら、君がここでくじけてどうするんだ?正しく人に役立つことっていうのは、最後までやり遂げないとダメだ」
私はハッと目が覚めた思いでした。
「お金がなくなって、家族を路頭に迷わせるようなことをしたらたしかにいかん。そして、今はそんなギリギリの状態かもしれない。しんどいのはよくわかる。でも、あと1日がんばってやってみろ。明日になったら、もう1日だけやってみようと思え」
彼からそんな言葉をもらいました。
実は退塾したいと泣き言を言ってきた塾生に、かつて私が投げかけていた言葉でした。
幸い、少しだけ蓄えもありましたし、今日食べる米がないわけではありません。
そう考えたとき、フッと気持ちが楽になったのです。その社長さんは言葉を続けました。
「今日食べる飯はあるのか?」
「あります」
「だったら幸せじゃないか。今日の朝は何を食べてきた?」
みそ汁とご飯を食べてきました」「ラッキーだな、君は凄くついているよ」
「えっ、何でですか?」
「だって、君は米をつくってないじゃないか。つくってないのにそれが食べられるなんて、最高の幸せだと思わないか?」
私はポジティブっていうのはこういうことなのかと思いました。
そして、どんなことでもプラスに考えることができると思えるようになったのも、この言葉が1つのきっかけでした。
その方は、ずっとそういうふうにポジティブな思考を続けることで道を切り開いていったのでしょう。
だったら、自分も同じようにポジティブにやり続けてみよう。そう決心したのです。
そして、同じ状況でも視点をグルッと変えることで「そうか、自分はそんなに幸せだったんだ」と思えるようになったのです。


2年ほど前の話。会社員の三輪さん(39)は休日に名古屋まで出掛けるため、豊橋駅で電車を待っていた。
ホームには大勢の人がいたので「どうか座れますように」と祈っていた。
幸いドア近くの席に座ることができ「これで本を読んだり、ちょっと眠ったりできるなあ」とほっとした。
ところが一つ目の駅で、70代後半とおぼしき小柄なおばあさんが乗って来た。
正直なところ、一瞬迷ったという。席を譲ろうかどうしようかと。
でも思い切って声を掛けた。
「あの、良かったら座ってください」
そう口にはしたものの、恥ずかしながら「席を手放すのか、残念」などと思っていた。
おばあちゃんは申し訳なさそうに座ってくれた。
もう10分ほどで名古屋に到着するというころ、おばあちゃんは何やらかばんの中をごそごそと探り始めた。
そして、ビニール袋に入った2本のキュウリを差し出し、「これ、けさ採れたてのものだけど、持ってって。立たせてごめんね」
自分の畑で育てたキュウリだろう。よほどうれしかったのか、満面の笑みで三輪さんの手に持たせてくれた。
その気持ちを遠慮なくいただくことにした。
「電話が次々とかかって来て、仕事がはかどらずイライラすることがあります。ついつい心にやさしさを忘れそうになる時、あのおばあちゃんの笑顔を思い出すようにしています。おばあちゃん、ありがとう!」と三輪さん。
その晩の食卓にはサラダが並んだ。
キュウリってこんなにおいしかったっけ」という三輪さんを事情を知らない母親は不思議そうに見ていたという。


[親に感謝、親を大切にする]
熊本の名校長大畑誠也氏の話を紹介します
熊本の名校長・最後の授業」
大畑誠也(九州ルーテル学院大学客員教授)。

私が考える教育の究極の目的は「親に感謝、親を大切にする」です。
高校生の多くは今まで自分一人の力で生きてきたように思っている。
親が苦労して育ててくれたことを知らないんです。
これは天草東高時代から継続して行ったことですが、そのことを教えるのに一番ふさわしい機会として、私は卒業式の日を選びました。
式の後、三年生と保護者を全員視聴覚室に集めて、私が最後の授業をするんです。
そのためにはまず形から整えなくちゃいかんということで、後ろに立っている保護者を生徒の席に座らせ、生徒をその横に正座させる。
そして全員に目を瞑らせてからこう話を切り出します。
「今まで、お父さん、お母さんに色んなことをしてもらったり、心配をかけたりしただろう。それを思い出してみろ。交通事故に遭って入院した者もいれば、親子喧嘩をしたり、こんな飯は食えんとお母さんの弁当に文句を言った者もおる……」
そういう話をしているうちに涙を流す者が出てきます。
「お前達を高校へ行かせるために、ご両親は一所懸命働いて、その金ば沢山使いなさったぞ。そういうことを考えたことがあったか。学校の先生にお世話になりましたと言う前に、まず親に感謝しろ」
そして
「心の底から親に迷惑を掛けた、苦労を掛けたと思う者は、今、お父さんお母さんが隣におられるから、その手ば握ってみろ」と言うわけです。
すると一人、二人と繋いでいって、最後には全員が手を繋ぐ。
私はそれを確認した上で、こう声を張り上げます。
「その手がねぇ!十八年間お前達を育ててきた手だ。分かるか。…親の手をね、これまで握ったことがあったか?お前達が生まれた頃は、柔らかい手をしておられた。今、ゴツゴツとした手をしておられるのは、お前達を育てるために大変な苦労してこられたからたい。それを忘れるな」
その上で更に
「十八年間振り返って、親に本当にすまんかった、心から感謝すると思う者は、今一度強く手を握れ」と言うと、あちこちから嗚咽が聞こえてくる。
私は「よし、目を開けろ。分かったや?私が教えたかったのはここたい。親に感謝、親を大切にする授業、終わり」と言って部屋を出ていく。
振り返ると親と子が抱き合って涙を流しているんです。

このウラログへのコメント

  • なな♪ 2013年12月13日 22:49

    PANDAさん:あらあら。親不孝だなんてそんな

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