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ネットのほっこり話:ストックホルム

2012年07月24日 23:06

[ストックホルムオリンピック]

1912年のストックホルム(スウェーデン)オリンピックは日本の選手が初めて参加した大会です。
5回目を数えるが、まだ28ヶ国の参加という小規模です。
日本は陸上選手二人だけの参加ですが、金栗四三は前年のマラソン予選会で世界記録を27分も縮める大記録を出し期待されました。
しかし彼はレース途中32キロ地点で日射病で意識を失って倒れ、近くの農家で介抱され目を覚ましたのはすでに競技も終わった翌日の朝であった。
彼を弁護するならば、日本からスウェーデンへ20日もかけての船と列車の旅で、さらに、北欧の夜は明るいため、睡眠に支障があった。
ストックホルムでは米が手に入らず、さらにマラソンの当日は金栗を迎えに来るはずの車が来ず、彼は競技場まで走らなければならなかった。
また当日、40℃という記録的な猛暑参加者68人中、およそ半分が途中棄権した。
うち一人は亡くなっている。
彼はその後、日本のマラソン界の発展のために尽力。
耐熱練習・高地トレーニング箱根駅伝の企画、更には女子体育の奨励などなど、現在のマラソン界に繋がる、あらゆる試みが金栗四三の発案でなされた。
ゆえに「日本マラソンの父」と呼ばれる。
時は流れて1967年(昭和42年)スウェーデンオリンピック委員会からストックホルムオリンピック開催55周年を記念する式典に招待を受けました。
実は彼はレース中意識を失ったため、棄権の意志がオリンピック委員会に伝わっておらず「競技中に失踪し行方不明」として扱われていた。
レースの終わりがゴールか棄権しかないとするならば、彼はレース中ということになります。
当時の記録を調べていたオリンピック委員会がこれに気付き、彼を記念式典でゴールさせることにしたのです。
何ともほほえましく、嬉しくなってしまうような話です。

こういうの何かいいね♪温かい気持ちになります☆

このウラログへのコメント

  • 管理貞操帯 2012年07月25日 06:09

    金栗選手の話は、余りにも有名ですね。
    スェーデンの委員会の、粋な計らいは、素晴らしいですね

  • なな♪ 2012年07月25日 23:52

    管理貞操帯さん:ほんとですね

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