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悲しいけど響く話…兄
2011年12月14日 09:11
東京・恵比寿のイルミネーションの一部です
【兄】
ネット上にあったお話♪
今日は兄の誕生日だ。
10才年上の兄は、私が10才の時に両親を事故で失って以来、
ずっと私を育ててくれた。
兄は私を育てるために大学をやめ、働きながら私を育ててくれた。
口癖は「お前は俺の半分しか父さん母さんとの思い出がないんだから」だった。
授業参観にも学校祭にも体育祭にも三者面談にも、いつも兄が来てくれた。
周囲のおばさま方の中で、明らかに兄は浮いていたが
それでもいつも兄は会社で休みをもらって学校に来てくれた。
私が初めて作った料理とも言えないようなものを、
美味しいと言って全部食べてくれた。
仕事で疲れているのに、家に帰ってきてから
学校での話を聞いてくれたり、宿題を見てくれたり、
学校への連絡ノートも毎日欠かさず書いてくれた。
土日も私と遊んでくれて、色々なところへ連れて行ってくれた。
そんな兄には自分の時間なんてなかったように思う。
友達の髪型を見て、私もお団子ヘアにして欲しい、
友達のお母さんならやってくれたと言った時、
慣れない手つきで一生懸命作ってくれたのに、
こんなんじゃない、お母さんに会いたい!
と兄をなじってしまった。
兄はそれを聞いてごめんと泣き出してしまった。
あの姿を思い出すたびに、兄も両親を事故で失った子供だったんだ、
と今でも泣きそうになる。
その兄が、一年前両親と同じように事故で突然この世を去った。
兄が死んだ時、私は兄が両親を失った時より一才年上だった。
兄は20歳で両親を失い、私は21歳で兄を失い、途方にくれた。
兄はこの状態で、小学生の私を育ててくれたのかと思うと、
それがどれだけ大変だったかと思って涙が出る。
兄は、私がいたせいで友達と遊びにも行けなかった。
恋人も、出逢う暇さえ私が奪ってしまった。
たくさんたくさん、ごめんなさいとありがとうも言えないままだった。
「幸せになれ」っていつも言ってくれたけど、
兄の幸せはどこにあったのだろう。
今も考えてる。
もう兄に何も返すこともできないけど、
兄のおかげでここまで来れた人生、
恥ずかしくないように生きられるように頑張ろうと思う。
お兄ちゃん、天国で見ててね。
今からでもお父さんとお母さんに甘えてるといいな。
じわっときた。
お兄さんの愛をしっかりと受けとった彼女は、
きっと心豊かに生きるのでしょう。
このウラログへのコメント
阿木さん:そうですね。つらいと思います
ジャッキー55さん:そうですね。妹さんの世話で大変さもあったと思いますが幸せも感じてたと思いたいです
川上薫さん:明るい話ではないからやはり悲しいですよね
まさきさん:やっぱり悲しい気持ちにもなりますよね
はじめまして。
子供の頃、似たような兄弟が近所にいたので思い出してしまいました。
ジ~ンときます。
koujiさん:コメント有難うございます両親がいない状況の中にいきなり放り出されてはきっと大変でしょうね
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