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成程話:この上なく美しい人
2015年11月18日 09:11
戊辰戦争の時、ある農家がとった行動と、その意味に深く考えさせられます。
戊辰戦争の時に、官軍が東北征伐に行って、会津城を十重二十重に取り囲んだ。
精悍無比を誇る会津藩士も、さすがに支えかねて、孤城落日の有様となった時のことじゃ。
城外に、ある豪農があった。
それが官軍の重囲を潜って、深夜ひそかに糧食を城内に運んでおった。
今日は落ちるか、明日は落ちるかと思われたものが、これがために数日を支えていたのじゃ。
それが遂に官軍の知るところとなって、農夫は捕らえられたが、彼が官軍の将士に向かって言うたことに、
「一椀の食、一滴の水を飲んでも、恩は恩である。
然るに自分が祖先代々からして安穏に暮らすことが出来るのは、山海の鴻恩(大きな恩恵の意)と言わねばなりません。
その藩主が今は朝敵の名を蒙っているとはいえ、今日のような悲況に陥られているのを見て、安閑(何もしないで、ぼんやりしている様)としていることは出来ません。
身はしがなき百姓でも、主恩を蒙ることは士班の人々と変わりありません。
今が御恩の報じ時と存じ、食を城中に送ったのでござります」
「大西郷遺訓」
K&Kプレスより
【疾風に勁草を知る】(しっぷうにけいそうをしる)という言葉があります。
これは、『後漢書・王覇伝』に記されたもので、後漢の光武帝が初めて義兵を挙げたとき、最初は良かったものの、次第に旗色が悪くなっていきました。
すると光武帝に従っていた兵士たちは次から次へと逃亡していき、最後まで残ったのは王覇ただ一人でした。
そのときに光武帝が王覇に言った言葉が【疾風に勁草を知る】で、
「疾風」とは、速く激しく吹く風。
「勁草」とは、風雪に耐える強い草。
つまり、強い風が吹いたときに初めて、それに負けない強い草を見分けることができるということです。
困難や試練に直面したときに、はじめてその人の意思の強さや節操の堅固さ、人間としての値打ちがわかることのたとえとしてこの言葉を使います。
穏やかな、なにも無いときは人の強さを計れません。
困難、試練、逆境のときに、逃げ出すのか戦うのか。
先ほどの話の農家さんも、そんな時だからこそ、恩を返そうと命がけだったのだと思います。
そこに上も下も、主も従も、親も子も、先も後もありません。
どんな間柄でも同じです。
先輩が後輩のために、恩を返そうと逃げずに頑張ることも、社長が社員さんのために戦うことを選択することも、親が子のために、子が親のためにと、風雪に耐える強い草「勁草」のような人は、この上なく美しいものです。
このウラログへのコメント
日本人は古くから本能的にそのような資質を受け継いできたような気がします。一宿一飯の恩義なども庶民の中にあったはずです。
自分自身もかくありたいと思います。
価値観の軽くなった今日では勁草の育つ土壌が弱くなっていますが、逆に言うと、こういう時だからこそ勁草を見分けやすくなるのかもしれないですね。
田舎のおじさんさん:私も受けた恩は少しずつ返していきたいと思います。まだまだ途中ですが
そのお百姓さんも、物凄い覚悟ですよね
( ̄▽ ̄;)
現代ではそこまでの覚悟で恩を返す人
なかなか見ないですよね
( ̄ー ̄)
koujiさん:なるほど。確かに、そうかもしれませんね!(*^^*)
SYUZO-さん:今はここまでできる人いないような気がします
克己さん:報恩…大事にしたいものです。自分のできる範囲内でにはなりますが(^^;)
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