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ある手紙を紹介:ふたりの子どもたちへ

2015年11月16日 09:29

井村和清さんが書いた「ふたりの子どもたちへ」という手紙を紹介させていただきます。


心の優しい、思いやりのある子に育ちますように。
悲しいことに、私をお前たちが大きくなるまで待っていられない。
こんな小さなおまえたちを残していかねばならぬのかと思うと胸が砕けそうだ。
いいかい。心の優しい、思いやりのある子に育ちなさい。
そして、お母さんを大切にしてあげなさい。
父親がいなくても、胸を張って生きなさい。
私も右足切断の手術を受けたけれども、負けなかった。
だからおまえたちも、これからどんな困難に逢うかもかもしれないが、負けないで、耐えぬきなさい。
サン・テグジュペリが書いている。
大切なものは、いつだって、目には見えない。
人はとかく、目に見えるものだけで判断しようとするけれど、目に見えているものは、いずれは消えてなくなる。
私に逢いたくなる日がきたら、手を合わせなさい。
そして、心で私を見つめてごらん。
お母さんを守ってあげなさい。
思いやりのある子とは、周りの人が悲しんでいれば共に悲しみ、よろこんでいる人がいれば、その人のために一緒によろこべる人のことだ。
思いやりのある子は、まわりの人を幸せにする。
周りの人を幸せにする人は、まわりの人々によって、もっともっと幸せにされる、世界で一番幸せな人だ。
だから、心の優しい、思いやりのある子に育ってほしい。
それが私の祈りだ。 さようなら。
わたしはもう、いくらもおまえたちの傍にいてやれない。
おまえたちが倒れても、手を貸してやることもできない。
だから、倒れても 倒れても自分の力で起きあがりなさい。
さようなら。
おまえたちがいつまでも、いつまでも幸せでありますように。
雪の降る夜に 父より


飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」
井村和清著
祥伝社より


井村さんは、腫瘍が肺へと転移したことを知らされ、自分の死期が近いことを悟り、「歩けるところまで歩いていこう」と決心した病院の帰り道
その日の夕暮れの表現が、何とも言えません。
井村さんは、その病院の帰り道、こう見えたそうです。
世の中がとても明るく、スーパーへの買い物客や子どもたちや犬や電柱や、小石までもが輝いて見えたそうです。
自宅へ戻って見る妻も、手を合わせたいほど尊く見えたのだと。
本当は、いつも見ている景色も、涙が出るほど美しいのかもしれない。
毎日会う人も、手を合わせたくなるほど尊い存在なのかもしれない。
何気なく飲んでる飲み物も、朝食でつくってもらった目玉焼きさえも、感動できるものかもしれない。
そうじゃないとしたら、目玉焼きが不味いんじゃなくて、自分が不味いんだろう。
いつも変わらずそこにあるから、いつも変わらずそこにいるから、当たり前になりすぎちゃって、何にも感謝も感動もできなくなっている自分が不味いんだろう。
あと1週間の命と思ったら、どう接しますか?
どんな言葉をかけますか?
どんな心で生きますか?
不満も愚痴も、死にゆく人は言いません。
あと1週間の命と思い生き、永遠の命の如く学んで行けたらと思います。

このウラログへのコメント

  • kouji 2015年11月16日 13:24

    子どもは親を教科書として育ちます。
    心の優しい子に育ちなさいと、口で伝えても意味がありません。
    井村さんという方はきっと優しい方なのでしょうから、黙っていても子供さんは優しい人になるでしょうね。

  • SYUZO- 2015年11月16日 17:47

    目玉焼きが不味いんじゃなく
    自分が不味い!

    これはしみますね
    (  ̄▽ ̄)

  • なな♪ 2015年11月22日 23:25

    koujiさん:私もそう思います。特に子供って親とか周りの大人の真似しますよね!言葉も行動も(*^^*)

  • なな♪ 2015年11月22日 23:26

    SYUZO-さん:ですね(笑)自分の行動を見返さなきゃ

  • なな♪ 2015年11月22日 23:30

    克己さん:そうですね。人の想いを汲み取れるひとになりたい。

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