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印象的な話:ピアノ
2013年08月15日 09:49
8月15日
日本、終戦の日。
既に米軍が沖縄に侵攻していた昭和20年5月のある日
二人の陸軍将校が、佐賀県の鳥栖小学校を突然訪ねてきた。
音楽教師の上野歌子先生(当時19歳)が応対すると、二人は言った。
「自分達は上野音楽学校(現・芸術大)ピアノ科出身の学徒出身兵です。
明日、特攻出撃することになりましたが、学校を出て今日まで演奏会でピアノを弾く機会がありませんでした。
勿論祖国の為に命を捧げる事は本懐ですが、今生の思い出に思いきりピアノを弾いて二人だけの演奏会をやりたいのです。
今日は目達原の基地から、あちらこちらとピアノを求め歩いて、やっとこの小学校にたどりつきましたが、どうぞお願いいたします」
上野先生の胸中には灼きつく熱いものがこみあげてきた。
どうぞ兵隊さん、時間のある限り弾いて下さい。
私もここで聴かせて頂きます。
静かな放課後の音楽教室で、二人の少尉は、代わる代わるピアノに向ってベートーベンの「月光」等の曲を奏でた。
その一時間程の間にどこから聞きつけたのか二十人程の学童達がいつの間にか集ってきて一緒にピアノの演奏に耳を傾けた。
やがて帰隊の時刻も迫ってきた時、上野先生は二人に向って言った。
「有難うございました。こんな素晴らしいピアノを何年ぶりかで聴かせて頂きまました。 この子供達も貴方方のお姿と一緒に永遠に今日のピアノ演奏を忘れることはないでしょう。明日は愈々ご出発とのことですが、心からご武運を祈らせて頂きます。
お別れにこの子供達と『海行かば』を合唱させて頂きます。」
教室一杯に静かに『海行かば』が流れた。
子供達や先生は皆泣きながら歌った。
送られる二人の少尉もいつしか声をあわせて一緒に合唱していた。
帰り際、二人の少尉は「この戦争はいつかは終わります。しかし今自分達が死ななければ、この国を君達に残すことはできません」
といって子供達の頭をなで、満足の微笑みをたたえながら去って行った。
翌日の午前、鳥栖小学校の上空に一機の飛行機が現われた
二度、三度と翼を大きく振りながら南の空へ飛び去っていったといいます。。。
1993年このピアノは、知覧(鹿児島県)特攻平和記念会館のロビーに置かれ、1995年より鳥栖スタジアムのすぐ隣にある「サンメッセ」に置かれているんだとか。
「月光を 弾きて往きたる特攻の 思い 語るか 古きピアノよ」上野歌子 詠
戦争のない世の中を願います。
私に出来ること。
勇気ある行動と愛のある言葉を、自分の周りの人に与えること。
このウラログへのコメント
この話は聞いたことあります
音楽家も画家も いかに
前途ある学士をセンソウで
失ったのか・・・
初めて聞いた。やからこそ憲法を改め、戦争せずに済む国にせんと。今の人の善意にすがる憲法は国を腐らせる
2発の核爆弾で敗戦 尚この国はまだ核で遊ぶのか
日本でのグランドゼロ三発は、既に世界共通の歴史だ。
マーさん:そうですね
ベソさん:そうですね…。憲法の穴が多すぎる気がします
松山市の河内人さん:ほんとですね。もったいない…
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