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★江戸吉原 その2

2011年05月15日 00:03

★江戸吉原 その2

遊女には、花魁(おいらん)・新造・禿(かむろ)などの身分がありました。



万治元年(1658)の吉原細見によれば、・・・ちなみに、『細見』とは、当時のガイドブックですが・・・太夫3人、その下位の遊女として格子67人、局365人、散茶669人、次女郎1004人・・・・『太夫』の称号は、当時の遊女の最高位で、女歌舞伎が盛んで芸達者の役者が「太夫」と呼ばれたのが由来。やがて遊廓が整えられ遊女階級性が確立、美貌と教養を兼ね備えた最高位の遊女に与えられ、京の嶋原、江戸吉原大坂新町に配置されるようにり、主に、公家大名旗本上流階級を相手にし・・・まぁ、『太夫』を相手にするには高額のお金が必要だし・・・一般庶民には高嶺の花。吉野太夫、夕霧太夫、高尾太夫らが有名。


・・・何と言っても、高尾太夫は、「わちきは、嫌でありんす!」なんて、大名を袖にしたらしいです・・・これって、凄いよね。しかし、『おいらん』という呼称の登場と前後していなくなりました。『おいらん』の名称は、妹分の新造や禿(かむろ)が、


江戸時代後期の安永4年(1775)になると、吉原細見には散茶50人(内、呼出し8人)、座敷持357人(内、呼出し5人)、部屋持534人など(総計2021人)となっています。・・・この『呼出し』が、いわゆる『花魁(おいらん)』です。『おいらん』の名称は、妹分の新造や禿(かむろ)が、姐御の散茶や座敷持を、そう呼んだことに由来するそうで・・・あちき・ありんす等と同じ、いわゆる、廓詞、お里の(吉原の)言葉らしいですよ。


まとめると・・


● 太夫:高級遊女吉原でもわずかな人数。宝暦年間(18世紀中頃)に吉原で太夫の名称はなくなる。

● 格子:太夫に準ずる遊女であるが、やはり宝暦頃にその名称は消えた。

● 散茶:元々は太夫・格子より下位の遊女。後に両者が、なくなったため高級遊女を指す名称になる。

● 座敷持:普段寝起きする部屋の他に、客を迎える座敷を持っている遊女。禿が付いている。

● 呼出し:散茶・座敷持のうち、張り店を行わず、禿・新造を従えて茶屋で客を迎える遊女


「呼出し」を花魁と呼んび、これらより下位の遊女花魁とはいわなかったようですよ。



花魁は、吉原遊郭で最も格の高い遊女で張り店を行わないため、引手茶屋を通して「呼び出し」をしなければなりません。呼び出された花魁が禿(かむろ)や振袖新造を従えて遊女屋と揚屋・引手茶屋の間を行き来することを花魁道中(滑り道中)と言います。



また、花魁には高い教養を身に付けています。・・・なにしろ、大名等の上級武士や、大店(おおだな)の旦那衆野お相手ですからね。花魁候補の女性は幼少の頃から禿(かむろ)として、花魁からは、行儀作法、その他、徹底的に・・・古典書道茶道和歌、箏、三味線囲碁etc教養、芸事を仕込まれていた・・・らしいですよ。



明日は、『しきたり』やなんかを講釈しますかねぇ。本日も、おあとがよろしいようで・・ドドーン!

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