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書籍:教科書には載らない日本史の秘密

2016年04月19日 23:52

(今回のは明るい内容のものではないです)
今日の紹介は、古川愛哲氏の著書です。


教科書には載らない日本史秘密
古川 愛哲(著)


日本史教科書に載っていない内容にこそ、歴史の流れを把握する要素がたっぷり詰まっています。
それを実感させられるのがこの本です。
争いの話など、少しグロテスクな話も混じってはいますが、それでも気づけることは多いです。
学生時代、歴史が苦手だった方はおそらく流れを掴めず、無理に暗記に走っていたのではないでしょうか。
私がそうでした。
そのような教科書の裏にある内容を知ることで、だいぶ歴史嫌いは克服されるのではないでしょうか。
歴史はビジネスでも人生でもヒントがたっぷり詰まっています。
学びのリターンの大きいモノです。
それでは特に参考になった話を紹介していきます。


●現代は単純に農耕文化を礼賛するが、それは農業を素朴な行為とみる現代人の思い上がりにすぎない。
水田稲作社会は、今日の工業技術社会と同じく1つの産業文化で、公害と変わらない負の部分も持っている。
家畜がもたらす伝染病や、土地労働力の争奪である。
少なくとも西日本では、水田稲作値をめぐって戦争状態となり、環濠を巡らした集約を攻撃するという流血沙汰が頻発する。
それらの環濠集落が、互いに同盟を結び合ったらしく佐賀県吉野ケ里遺跡のような巨大建造物や櫓をともなう城郭都市まで誕生する。
吉野ケ里遺跡の壮大な稲作テクノポリスの陰には、壮絶な戦争が影を落としているのだ。
有名な静岡県の登呂遺跡静岡市)は、弥生時代後期のもので150年ほど続いたが、洪水の土砂で20戸ほどの住居が埋没した。
なお、弥生時代に栽培された米は、稲穂が現在のものより3分の1も短く、主食とするには収穫量が不足していた。
遺跡から縄文期と同じ植物や動物、魚介類も出土するので、米は商品として輸出されたと考えられている。
登呂遺跡をはじめ大集落は大きな水路を持ち、海に繋がっているので、各地の米を集めて輸出する中心的集落とみられる。
すでに古墳時代前期と重なるのである。

●沿道の子どもたちが囃して、「アレは誰が御輿」「殿の大領輿」と無邪気な声を上げた。
当時4、5歳の子どもたちが輿の通過を見ると歌う童謡という、行列の供の1人も笑いながら「これ」と子どもの頭を軽く叩く真似をした。
女房の輿にふさわしい光景である。
それが突如、一転する。
行列の後方の供の男が刀を抜き取って、やおら前へ走り出ると、なんのためらいもなく、笑う子どもの小さな体を白刃で貫いた。
それで3度までも突き刺したのである。
通行人も凍り付いて立ち止まった。
男はなおも、「文句があるヤツは出てこい!闘う気があるなら刀を貸してやるぞ!」と吼えた。
慣習では近隣住民が飛び出して、男を押さえて捕縛するのだが、なぜか誰も飛びださない。
血まみれで倒れた子どもは、それでも、「菖蒲刀にて持ちたらば、敵はとるべかりし物(菖蒲の刀でも身につけていれば、敵に不覚はとらなかったのに)・・・・・・」とうめいた。
われに返った町の大人たちは知らぬ顔で去り、それを尻目に輿の行列は去った。
その子は「8歳の孤児」だったと、万里小路時房は記す。
孤児は町の構成員ではないので誰も保護しない。
斬った男を「もってのほか泥酔しけるか」と万里小路は記す。
戦いと飢餓で、都の路上にたむろする孤児が増えた。
それを町の共同体ホームレス扱いをして保護しない。
個人は何らかの集団に属さないと生命財産は守れない時代だった。
強烈な自尊心差別心、その内に秘めた激情が酒でキレて爆発した。
ついでに記せば、昔、厳しい教師は、笑うと、「歯を見せるな!」と怒ったものだが、この時代に起源がある。
それも教師は素面で怒ったのだから、文化が空虚な形式のみ残る歴史的変化の恐ろしさである。
(P134~135引用)決していいエピソードではありません。
むしろ、許せないエピソードですが、昔「歯を見せるな!」とよく言われていたため、気になって引用しました。
現代でいえば、「油断するな」に通ずることでしょうか。
確かに現在は法と秩序に守られています。
しかし、残念ながらその裏をついてくるケースがあります。
そのような時は、隙を見せてはいけません。
ちょっと無理やりですが、そのような解釈につなげてみました。
しかし、昔は油断もならない時代でしたね。
やはり平和が一番です。

茶道の登場ほど、日本文化根底から変えたものはない。
それまでは飲み物といえば酒で、酔っぱらって口論が、喧嘩に発展して、果ては戦にまでなる。
歴史上、権力者たちが素面で語り合うのは、「茶の湯」の文化が初めてである。
それも狭い空間で互いが膝を交えて語る。
理性的な対話が可能となったのは、「茶の湯」の登場による。
この「茶の湯」は歴史的に見て、革命的な心性の変化を生み出したが、まだ評価が低すぎるように思う。
ヨーロッパでもコーヒーの渡米は、諸学を盛んにしてルネサンスを招いた。
酒と異なる飲み物の普及は、知力を覚醒して、活性化した精神が理性的文化を開花させる。
知識人は議論し、政治宗教を批判し、芸術家は現実を描いた。
酒以外の嗜好品の登場こそ酒浸りの非合理的な文化に終止符を打ち、近代的精神と社会の近代化をもたらしたのである。
(P159引用)
確かにお酒が入ると、柔らかい雰囲気ができ上がります。
しかし、その一方で争いも起きやすくなります。
よく上司が本音を話さない部下に飲みに行こうと誘うことがありますが、これはかえって関係が悪化しかねない危険なことでもあります。
お酒が入ると、つい強気になってしまい、言いたいことを言ってしまう。
相手を責めてしまう。
こんな経験があるという方は少なくないのでしょうか。
だからといって、部下に話すときは公式のカチッとした場だけにするという状態では、部下が話しにくくなります。
心理学用語でに「ランチョンテクニック」という言葉があります。
食事をしながら話をすると、人は打ち解けやすくなるという法則です。
もちろんその中には、飲み物も含まれています。
お茶をしながら、コーヒーを飲みながら話すと、打ち解けやすくなります。
そう考えると、本書でいう「茶の湯」は現代のビジネスに大きく影響を及ぼしたものといっても過言ではありませんね。

このデジログへのコメント

  • 管理貞操帯 2016年04月20日 09:25

    から独立したと言うのは嘘
    終戦後2年間はが占領していた。から独立したのが史実

    安重根が伊藤博文を暗殺したのは嘘博文公は、2階から撃たれている。背の低い安が上から撃てるわけがない史実

  • SYUZO- 2016年04月20日 18:27

    まあ
    士農工商と二番目の農民が一番まずしいとかね
    歴史の中には目を背けたくなる出来事たくさんあります
    今それをどうとらえるかですね
    (  ̄▽ ̄)

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