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最後の言葉は「さようなら」ではなく「ご馳走様」だった

2016年04月04日 23:39

感動しました。
お時間のある時にどうぞ。


A君は29歳。
広告業界の小さな製作会社に身を置いている。
すでに結婚し、3歳前の娘がいる。
そのA君一家のもとに、ある日郷里から父親が訪ねてきた。彼の話は、その父親が帰るところから始まる。
「父が帰っていきました。
電車が見えなくなると、僕の胸には、心なしか小さくなった父の背中と、父が最後に言った『ご馳走様』という一言が残りました。
その時僕は、母を失った父の哀しみと、この突然の父の上京が意味するものに、あらためて思い至ったのです。
僕たちの狭い2DKに、父が作った米や野菜をつめこんだ二つのダンボール箱が届いたのは、3日前でした。
その箱の中に、父が、地元の農協が主催する旅行に参加すること、そしてそのついでに一泊させてもらいたいがいいか、と書いた手紙が入っていました。
僕らに依存はありませんが、いままでめったに旅行などしたことのない父の申し出に、僕はいささか面喰らいました。
父の身の上に何かあったのかと訝ったほどです。
土曜日の昼過ぎ、父はやって来ました。
初めこそぎこちなかったものの、近所を娘と散歩したり、夕暮れ、僕とビールを飲み始めたりするうちに次第に打ち解け、いつもの無口が嘘のようによくしゃべりました。
夕食はカレーライスでした。父のリクエストなのです。
めったにないことなので、僕は奮発してすき焼きにしようと言ったのですが、父は珍しく聞きませんでした。
そう言えば、父は母が作るカレーが好きでした。
しかし、自分の希望を強く言うのもいつもと違ったし、食べたあと妻に『おいしかった。ありがとう』と言うのも、いままで耳にしたことのない言葉です。
僕はその時、ふと思ったのです。
父は、その台詞が言いたくて上京したのではないか、と。
父の食事は、いつもひとりぼっちでした。
言葉を投げても受けとる人がいない食卓。
母を亡くして初めて知るその寂寥から逃れるため、父は慣れない列車に乗り、巨大な人波に揉まれ、心細い思いと戦いながらここまで来たのではないか。
そして、遂に母に言わなかった『おいしい』という台詞を口にしたのではないか。
電車が来ました。
すると父は何を思ったか、僕らのほうにまっすぐ向き直り、薄くなった頭がすっかり見えるまで深々とお辞儀をし、少しはにかみながら『ごちそうさま』と言ったのです。
最後の言葉が、さよなら、ではなく、ごちそうさま。父にとっては、それほど心に残る夜だったのですね」

「大人の迷子たち」
岩崎俊一著
廣済堂出版より


「あたりまえ」の日々が、実はあたりまえではないという事に気付かせていただけるお話でした。
「ごちそうさま」といえない寂しさや、ケンカする相手もいない辛さ、イビキのうるささも感じられず、くだらないことで笑い合えることも出来ない・・・。
いつもの事が、いつもの事じゃなくなる日というのはどんな人にも必ず訪れるのでしょう。
だからこそ、一日一日を全力で生き、目の前にいる人にちゃんと伝えていかなければなりません。
そうしていつか終わる日を意識することで、「今」が輝き始めます。
言えなかった言葉も、言えるようになりますね♪
どんな人間関係でも、相手への尊敬と、感謝の気持ちを大切にしたいものです(*^^*)

このデジログへのコメント

  • SYUZO- 2016年04月05日 16:50

    いいね~
    (  ̄▽ ̄)
    わかる気がする
    これ
    いいね~
    (。>д<)クー

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