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成程話:ものごとを一つの「円」として見る
2015年05月16日 23:57
あの二宮尊徳さんが困り果てたあげく、成田山にこもり21日間の断食と一日数回の水行をしていたということを、知っていますか?
私は初耳でした(^^;)
ある村の立て直しを一所懸命おこなっていた尊徳さんでしたが、村人の中には快く思わない人達もいて、尊徳さんのことを目の敵にし、周りを巻き込んで反対し、妨害されるという目にあいました。
そんな中、成田の不動さんのお堂にこもったのです。
そのとき尊徳さんが開眼し気付いたこととは一体何か・・・
以下をどうぞ。
尊徳の歌に、
「見渡せば 遠き近きはなかりけり 己れおのれの住みかにぞある」
東京の人から見れば大阪は遠いし、大阪の人から見れば東京は遠い。
商店に買い物に行く時、遠くて不便だとなげき、その商店が火事だと聞けば、遠くてよかったという。
このように遠いとか近いとかいうのは、自分の立っているところを基準にしてのことであり、一円全体から見れば、遠い近いの区別はありません。
このように吉凶・好悪とか、是非・善悪、優劣・美醜とかいうものは、円の半分であり、相対的なものです。
いわゆる較べる世界での相対的価値観によるものです。
どうも私どもは、こうして相対的にとらわれがちなものです。
それ故に、心おだやかならず、不平不満や嘆き悲しみがたえないわけです。
ところが、ひとたび相対観から全体観の立場に立てば、風景が変わってまいります。
寛大、おちつき、やすらぎの境地がひらかれるわけです。
これが尊徳のいう全円観であり、相対をこえるという意味から言えば、絶対観ともいえるものです。
「ものがたり伝記シリーズ6 二宮尊徳」
文・もろひとめぐみ
画・さいわい徹
寺田一清著
明徳出版社より
※このものがたりシリーズの伝記は、お子様がいらっしゃる方には特におススメです♪本文は寝る前の読み聞かせで読めるぐらい優しいかもしれません。
妨害する人と、よくしてくれる人、今まではものごとの半分、つまりよくしてくれる人しか見ていなかったけど、全体を見るようにしよう!と悟ったのです。
善悪もそうですね、ショッカーがいなかったら、仮面ライダーもいらないのです。
ライバルチームがなかったら試合もせずに優勝、いや、大会も開催されません。
剣道や柔道などの武道も、相手がいるお蔭で試合ができる。だから、勝っても負けてもお互いに礼をし相手に敬意を払う。
ライバル店や、繁盛店があって、そうじゃないお店があったとしても、そこに優劣を見るのは半円の考え方です。
それよりも、全体としてとか、町として、国として、業界として、という見方になったとき、違うものに見えると思います。
物事を、半円(自分サイド・相手サイド)だけで見るのではなく、全円(一つとして)見ることが、いろんな問題を解決するヒントになりそうですね♪
行列のお店もいいけど、空いてる店もいい!勉強するのもいいけど、遊ぶのもいい!真面目な人もいいけど、適当な人もいい!
そう考えると、最大の短所は、最大の長所にもなり得ますね(*^_^*)
ものごとを一つの「円」として見ていくようにしていきたいと思います(^^)
このウラログへのコメント
なるほど。ええこと言う。流石二宮尊徳。
今日もええ話を有難うね。
ええ週末を。
そう!
そして、良く思ってない人の意見の中に
良くするヒントが有るんですよね
(  ̄▽ ̄)
ベソさん:こちらこそありがとうございます
SYUZO-さん:そういうものですよね。なぜか
克己さん:そうですね。円として確かに繋がってますもんね
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