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ネットの凄く悲しく響く話…人を愛するということ
2012年03月28日 09:19
【[人を愛する]ということ】
従兄弟(27歳男)が、大腸癌で死んだ。
その彼女は、従兄弟が癌と分かってから、仕事もあったのに毎日病室に訪れ付き添った。
結婚の約束もしていたんじゃないかな。
食べ物を「お口アーン」とか、やり合ってじゃれてたり、癌が侵食して痛む従兄弟の腰や背中を、彼女がさすってあげたり。
その頃、10代のガキだったせいもあるけど、従兄弟が死ぬなんて全く想像つかなかった。
「きっとこの2人はあと数年もしたら結婚して、幸せな家庭築くんだろーな」
なんて、見舞いにいくたび幸せな想像しかできなかった。
普通に羨ましかった。
しかし、従兄弟の病状はどんどん進んでいった。
みるみるやせて、目ばかりぎょろぎょろになって、身内の私でも正視できなかった。
早く終わってほしかった。人の命のもろさが怖かった。
でも彼女はずっとそばにいた。
従兄弟のやせ細った手を握って、抗癌剤の影響でぼろぼろに禿げた頭に被る毛糸の帽子を作ったり。
私は怖くて怖くて病室にも入るのも嫌で、病室に入っても彼女の後姿ばかり見ていた気がする。
従兄弟は癌がよくなったらどこかへいこうとか、あれ食べに行こうとか今度の携帯の最新機種を買いたいとか、来ない日のことばかり喋った。
彼女は笑顔で「絶対いこーね」「私あれ食べたい」とか、いってた。
気休めだろって思ったけど、彼女の目は本気だった。
今、思い返せば、彼女は他にどうすることもできなかったんだと思った。
彼女も怖かったのに、好きな人を失うことが、きっと自分が死ぬ以上に恐ろしかったと思う。
年末に癌が全身に回り、肺に転移。
従兄弟は最初の意識不明に陥った。
医師は「癌を抑える薬がある。しかし、一時的に抑える効果しかない。苦しみがのびるだけ。私の子供が患者だったらこのまま死なせる」ときっぱり。
両親は「せめて27歳の誕生日を迎えさせたい」と延命を望んだ。
横で彼女はだまって、震えていた。
薬は効いて従兄弟は劇的に回復した。
彼女と温泉にいったり、近場に旅行いったり、新薬は2人に時間をくれた。
[癌が治った]とはしゃいでいたけど、一時的だというのは本人が何よりも知っていたと思う。
最後の時をすごす2人に、両親も親戚もなにもいわず見守った。
春、従兄弟が3度目の意識不明に陥った。
あまりの痛みに子供のように泣き叫ぶ従兄弟を、彼女と従兄弟の母親が押さえつけ、抱きしめた。
「ここにいるよ。ひとりじゃないよ」
彼女は死の激痛にあえぐ従兄弟の顔にキスして、手足をさすった。
医師が死亡宣告し、遺体が自宅に搬送されるまで、彼女は従兄弟を抱いた。
何かにとりつかれたように嗚咽する彼女をみて[人を愛する]ってこういうことかと思った。
彼女は親戚の手前、通夜、葬式にも出られなかった。
毎年従兄弟の墓参りには来ていた。
従兄弟が死んで数ヶ月あと、勤めていた会社をやめたことを聞いた。
数年たって墓参りにもこなくなった。
最近、彼女が結婚し、1児の母になったことを聞いた。
寂しく思った反面、ほっとした。
幸せになってほしいと思う。
人を愛するということは、時に辛く悲しいこともある。
それでも人を愛することは幸せなことだと思う。
誰かを愛せる人はちゃんと自分のことも愛せてる人だと思うから。
このウラログへのコメント
ななさんのブログを1年以上見てますが、初めてのメールです。今回のように感動したり、心を動かされてます
ななさん♪にまた泣かされた。愛ってまだまだわからないけど・愛の凄さの一端を知らしめてもらいました。
チョッピーさん:そうですね。癌は身近な病気だから自分や身近な人がなったらどうなるだろう
秀55さん:泣かせちゃった。大好きな人がこの従兄弟さんの立場になったら・又は彼女の立場だったら…
しゅうくりいむさん:長く読んで下さり嬉しいですまたいつでも読みにきて頂けたら嬉しいです
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