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素敵な話…【いってきます】
2012年03月02日 13:48
だいぶ前載せたかも?
ネットにあったお話。
【母の愛のこと】
もう20年位前の話です
私は小さい頃親に離婚されて、どっちの親も私を引き取ろうとせず施設に預けられ、育てられました
そして3歳くらいの時に今の親にもらわれたそうです
当時の私はその自覚などしておらず、記憶は無く、その親を本当の親と思って中学二年まで過ごしてきました
そして突然の父との別れが訪れました
脳梗塞で帰らぬ人になりました
そして、その最悪の時に私とその親は家族ではないということを親戚の方から偶然にも知ってしまったのです
葬儀の後、私は母を問い詰め、本当の事を聞きました
その時を境に私は母を嫌いになりました
死んだ父でさえも嫌いになりました
多分、裏切られたとか思ったんでしょう
元々家が裕福ではありませんでした
ですから父が死んでしまったので、母が働きに出ざるを得ませんでした
母は朝は近くの市場で、昼から夜にかけてはスーパーで働きました
それもこれも全て、私のためのものでした
ですが当時の私にはそれすらもうっとうしく思えてなりませんでした
時には登校の時間と母が市場から帰ってくる時間がちょうど重なってしまい友達と登校していた私はボロボロになった母と家族であるということを友達に知られたくなく「いってらっしゃい」と言う母を無視しては友達に「誰あれ、気持ち悪いんだけど」という悪口すら言っていたものでした
それを察してか、次の日にはわざと目を伏せ、足早に私とすれ違っていきました
でも、それでも母は何一つ文句をいわず働いてくれていました
そんな日が1ヶ月くらい続いたと記憶しています
そんな雨の日、雨合羽を着て市場から帰ってくる母とすれ違いました
当然無言です
その姿は何とも淋しく、哀しく、辛そうに見えたのです
涙が溢れました
ぐしゃぐしゃに泣きました
私は一体何をしているのか
ボロボロになってまで私を育ててくれているあの人に、私は何をうっとうしく思っているのかと、凄まじい後悔が私を襲いました
私は友達の目も気にせず母に駆け寄りました
でも、何を言っていいかわかりませんでした
その時、ふと口をついた言葉が「いってきます」でした
言えた言葉はたったそれだけでした
でも母は一瞬驚き、そして泣きました
そして何度も何度も「いってらっしゃい」と言ってくれました
私が友達の元へ戻ったあとも、母は私を見ながら手を振って「いってらっしゃい」と言ってくれていました
今では彼女こそが本当の私の母親です
たとえ戸籍上はどうあれ、そう思っています
恩は返しきれないくらいあります
母は「それが親の勤めだよ」と言いますが、でも、じゃあ今度は子として親の面倒を見ていきたいです
この人が母親で最高に良かったと思います
愛。だね♪
このウラログへのコメント
また泣いてしまった・こんな時に「泣かない男がいい」なんてないよね。
ここにも「愛こそすべて」がある
母親の愛は最高。私も母は大好きだった。あんなに優しい女性はいなかった。今は心の中にいる、会えない人。
最近多い、虐待する親の気持ちが、理解出来ないですね。
判決は、子供にした事と同じ刑にしよう
秀55さん:泣いちゃう男性、素敵だと思いますこんな時は泣いてもいいと思います
なださん:素敵なお母さん羨ましい。私の母は普段は楽しいけど偶に心臓えぐる事をあえていう時あるから
チョッピーさん:母親って不思議と特別な存在ですよね
管理貞操帯さん:私も理解できない。同じことされてやっとつらさが理解できるようになるのかな?
子供の目に、劇薬を入れていた奴なんか、同じ薬品を、点眼してやればいいよ
あの子の将来は
管理貞操帯さん:親というか親の恋人らしいですが母親気づかなかったのか…
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