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いい話:比較ではなく学び
2013年02月28日 09:46
アル・シーバート氏の心に響く言葉
スキップ・ウィルキンスは、高校のスター・アスリートだった。
彼は陸上とアメフトで多くの賞を受賞し、また20を超える大学からの勧誘を受けていた。
しかし、水上スキー中にスキップは首の骨を折る事故にあってしまう、高校卒業から3日後のことだった。
意識はあったが、体の感覚が全くない。
ただ、彼の骨折の部位が比較的低かったのが幸いし、彼は自力で呼吸したり首を動かすことはできた。
やがて彼は、肩、腕、手の感覚を取り戻したが、下半身は動かないままだった。
それでも事故後に初めて自分の曲がった手で葡萄を摘み自分の口に持っていけた時彼はとても興奮したという。
[何で俺がこんな目にあるんだ!]というのが大きな事故や病気に苦しむ人の偽らざる思いだ。
スキップもそうだった。
彼の頑健な肉体は永遠に失われたのだ。
彼の絶望は深かった。
その後のリハビリは壮絶なものだったが、スキップはユーモアを持ってそれを切り抜けた。
そして周りの助けとサポートによって彼はやがて大学を卒業することもでき、心理学の学位も取得した。
ある日スキップは会合でとても魅力的な女性に出会った。
[あんな可愛い子は僕みたいなのとはデートしてくれないよな]と傍にいた妹にこぼすと、妹は[聞いてみないとわからないでしょ]と言うと立ち上がり、彼女の方に歩いていった。
その女性、ダフネは看護師で、同じ高校のスターだったスキップを覚えていた。
彼が3年の時に彼女は1年だったという。
そして何と、デートの約束をしてくれたのだ。
2年の交際の後、彼らは結婚する。
スキップは車いすになったからといってスポーツを諦めるよう男ではなかった。
彼はやがて厳しいトレーニングで自分を鍛え直し始めた。
彼は1975年から1980年の間に12もの車いす競技でアメリカ国内の記録を塗り替えることになる。
車いすの卓球では10回にわたりチャンピオンにもなり、1980年の車いすのベスト選手にも選出された。
彼は言う。[あの大けがで私は他人と競うことをやめ、自分自身と競うことを覚えたのだと思います。人は常に最善をつくすことをやめてはいけないんです。勿論あの事故にあう前に戻れるなら、それに越したことはありません。でも私が学んだことと引き換えというなら、それを諦めるでしょうね。それ程、あの事故で私が学んだことは私の財産になっているのです]
『凹まない人の秘密』ディスカヴァー
壮絶な事故や病気を乗り越えた[逆境に負けない人]が異口同音に言うことは[あの時の事故や病気に感謝している]。
そして、どんな酷い状況になってもユーモアを忘れず、そこから学ぶ姿勢がある。[こうなったことには意味がある]と泣き言や愚痴を言わずに。
他人と比較すれば不平不満や愚痴がいいたくなる。[比較ではなく、学び]
どんな困難に出会おうと、そこから学ぶ人には限りない魅力がある。
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