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成程話:生きている間にどう喜ばれるか

2013年01月23日 22:27

成程話:生きている間にどう喜ばれるか

小林正観さんの心に響く言葉より

癌を宣告され、毎日様々な健康法、食事療法を5年間続けてきたという方がおられました。
その結果、ありとあらゆる頼まれごとを全て断って、自分の健康をとり戻すことを第一として生きてきた。
しかし、5年経ったところでふと[私は何の為に体を治そうとしているのだろうか]と思ったそうです。
頼まれたことを全て断って生きてきたのですから。
元気になったらやるけれども、元気になるまでは病気のせいで引き受けられないと5年間思い続けてきた。
その結果、何の為に生きているのかわからなくなった。
その時に偶々私の講演会においでになって[人生は頼まれごとをすること]という話をきっかけに、これからは自分が何をしたいかではなく、もういつ死んでもいいから頼まれごとをして喜ばれるという人生に切り替えよう、と決意なさったそうです。
自分の病気を治してから頼まれごとをやろうと思っていたけど、それでは今この瞬間を生きていることの意味が全然無いではないかと思い、次の日から頼まれたことをやり始めたのです。
毎日病気を治す健康法の為に費やしていた時間やお金を、頼まれごとをする為に使い始めた。
そして、それ以来すでに3年経ちますが、その後忙しくて、1度も病院へ行っていないそうです。とてもお元気そうでした。
因みに、この方は最近ホノルルマラソンに参加し、完走しました。
誰もが[奇跡]と驚いています。
もし神という存在が上から見下ろしていたとすると、その人が病気であるかどうかは関係がない。
喜ばれる存在を全くやっていない5年の間は、神はこの人を応援支援しようとは思わないのかもしれません。
その人がどんな病気を背負っているかではなくて、喜ばれる存在であるかどうかを神は見ているらしく、病気であろうが何であろうが、その与えられた状態の中で喜ばれるようにと思って生きていたら、神はこの人をもうちょっと長生きさせようかなと思うのではないでしょうか。
なぜならこの人が生きていることが周りを喜ばせているのですから。
私達の人生は長生きすることがテーマなのではありません。
生きている間にどう喜ばれるかだけです。
喜ばれることだけをやっていれば神仏が支援の側にまわる可能性がある。
限られた条件のもとで、例えば病院のベッドの上にいてもお見舞いに来てくれた人に不機嫌にならずに笑顔で穏やかに応対して、その人をホッと安心させて帰って貰うことができたら、それだけで喜ばれたということです。
そういう一瞬一瞬の積み重ねをやっていけば、それ以外のことは考えなくてよいらしいのです。
ある1点について問題をどうにかしよう、とか、ある人に好かれたい、とか、この商品を営業努力によって売りたい、と思って努力するよりも、神や宇宙を味方にして今この瞬間を生きていくことの方が実は早道なのかもしれません。

楽しい人生を生きる宇宙法則講談社


相手に喜ばれない存在は[不平不満][愚痴][泣き言][悪口][文句]を言う人。そして、この状態が続き更にエスカレートすると[恨み][憎しみ][呪い]となると正観さんは言う。
その反対の喜ばれる存在は[ツイてる][うれしい、楽しい][感謝][幸せ][有難う][許します]という言葉をいつも言っている人。これは斉藤一人さんがいう、家庭も職場も明るく、楽しくなる[天国言葉]。
単なる人数合わせで頼まれるようなことは断ってもいいが、それ以外の頼まれごとは進んで引き受けた方がいい。どうせ引き受けるならニコニコ笑って引き受けるか、文句をいいながら引き受けるかは大事な問題。
人に喜ばれる人生を歩みたいな

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