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中日新聞より。印象的な話
2015年10月22日 23:41
『引き揚げてきたあの日のこと』
豊橋市の小久保さん(86)は、七十年前の十一月八日釜山から引き揚げてきた。当時十六歳。九歳の妹と母親と三人で山口県の仙崎港に着いた。
向こうの港を出る時、着物やお金を取り上げられてしまい、着の身着のままの状態だった。その一週間後、母親の実家である伊良湖岬の堀切へ向かった。豊橋駅で汽車を降り、渥美線に乗り換えた。
田原駅に着くと辺りは暗くなっていた、旅館はどこも満員。「おなかがすいたよー」という妹のために「おにぎりだけでも」と頼んだが断られた。駅舎で眠ろうと思ったが、終電後は出ていくように言われた。
途方に暮れていると「泊まるだけならうちへどうぞ」と、駅員と思われる制服の男性に声を掛けられた。わらにもすがる思いでお願いした。
真っ暗な道を男性の後を付いて行くと、そこは農家の納屋だった。
「私も疎開でお世話になっている身なので、母屋の人に知られないように静かに」と言われ中に入ると、奥に幼い子どもが二人眠っていた。
泊めてもらえるだけでありがたいのに、奥さんがご飯を炊いてくれた。食料不足の中、その気遣いが胸に染みた。翌朝も「母屋に知られぬうちに」と、夜明け前に辞した。
お金を渡そうとしたが受け取ってくれない、母親がそっと布団の下にお金を忍ばせるのが見えた。
「その数日後、あらためてお礼にと家を捜したのですが場所が分かりませんでした。駅で尋ねてもそんな人はしらないとこのこと。
引き揚げのつらかったことより、あの男性のことが思い出されます。今も感謝しています」と小久保さんは話す。
《中日新聞掲載 2015年(平成27年)8月2日(日曜日)》
このウラログへのコメント
困った時はお互い様
まさにそんなエピソードですね(  ̄▽ ̄)
私の母親も似たような経験をしていますが、戦争被害者の苦労は今では想像もできないものだったようです。
SYUZO-さん:ですね♪お互い様の気持ちで助け合えたらいいな(^^)
koujiさん:体験しないとそういう所はやはり実感できないものでしょうね
克己さん:こちらこそありがとうございます(^^)優しい話は心を優しくしてくれる気がします(*^^*)
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