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素晴らしい方の話…ミス・デントン
2012年05月03日 09:36
[なくてはならぬもの]
三浦綾子著より
ミス・デントンという方のお話をさせて頂きます。
私はこの方は本当に大切なものを神様に捧げた方だと思います。
和歌山の方にいらっしゃる升崎外彦先生という立派な牧師先生を、私はお訪ねしたことがありました。
この先生は色々なエピソードを持っていらっしゃる方ですが、小さな博物館で1番素晴らしい物を見せてあげましょうとおっしゃって下さいました。
その時に見たのが[ミス・デントン]というアメリカ人の宣教師の靴下でした。
その靴下は継いで接いで厚くなって、生地が見えない位に糸で刺してありました。
これをなぜ升崎先生の博物館に飾ってあるかと申しますと、ミス・デントンが亡くなったという電話がきた時に、1番先に先生が駆けつけたわけです。
そしたら、そこにいた人が「先生、どうかお好きな物を形見にもっていらしてください」と。
1番先にいらしたんですから、1番お気に召した物を持っていって下さいとおっしゃったわけです。
先生はすかさず、ミス・デントンの靴下を下さいとおっしゃった。
先生はミス・デントンのいつも継いで接いでいた靴下を知っていたからです。
ちらっと穴があいたら、その靴下は大抵の人はもう履きません。
伝線がスッと入ったらもうそれは恥ずかしくて履いてはいけないというのが、私達の情けない気持ちです。
ですから、ミス・デントンの様な靴下を履いて一町歩いておいでと言われたら「死んでもそんな真似はできない」と言うだろうと思います。
しかし、ミス・デントンはこれを苦痛としてではなく喜んで履いていました。
これは靴下に代表される彼女の姿で、ミス・デントンは着ていらっしゃる物も継いでいたそうです。
お家の中も粗末であったでしょう。
ご自分の為にはおそらく、食べる物もその様な状態だったと思います。
切り詰めるだけ切り詰めて、日本の女子学生の為に学資を出していた。
桜美林の清水先生の奥さんはこのミス・デントンの愛によって学校を出ることができたといいます。
私達が博物館に行ったら、立派な壺だとか誰それの手紙だとか絵だとか本当に値打ちのありそうな物がありますけれども、この様な物を見たことはありません。
このミス・デントンはアメリカから渡ってくる時に本当は愛する人がいました。
ファウラーさんという立派な青年と愛し合って婚約していました。
けれども、日本にキリストを伝えるという使命を与えられて、本当に辛い思いをして、神様に自分を捧げたわけです。
そして、ファウラーさんと話し合って婚約を解消し、そして太平洋を渡って日本で宣教師として働かれた。
その人の思い切ったそれだけの愛を、神様に捧げたデントンさんは一生懸命、正に命を懸けて伝導なさった。
もう食べる物も食べない、着る物も着ないで、その様な靴下を残されて伝導された。
アメリカを出て何十年か経った時、アメリカから一老紳士がやってきました。
そしてご自分が働いて一生かかって貯めたお金をデントン先生に差し上げた。
「どうぞ、神様の為に使って下さい」
そう言ってお金を渡したその人が、若い日に別れたファウラーさんでした。
別れてから五十年後でした。
ファウラーさんも独身で一生を過ごしたわけです。
アメリカと日本に別れて、お互い愛は冷えないままに、しかし、神様に捧げた。
1番大事な物を捧げました。
それで作られたのが、同志社のレンガ造りの女子学生の校舎だそうです。
そして、その栄光館の右と左にファウラーさんとデントン先生の写真が飾られているそうです。
愛です。使命を全うされた生き方に心を打たれました。
このウラログへのコメント
もったいないってことを日本人が教わることになるのか。良い文化は継承されて欲しいですね。
しゅうくりいむさん:本当ですね飽食の時代。物もあふれてるから無駄にしてる人も多いです
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