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悲しいけど心に残る話

2011年05月02日 09:03

悲しいけど心に残る話

……写真福島宮城の境目あたりにある、阿武隈川という川(by友人撮影)……


こころチキンスープより

私は教師として、そして保健指導員として働いている。
仕事を通じて、エイズウィルス感染した子どもをおおぜい見てきた。
この子たちとの交流は、私の人生の宝物だと思っている。
子どもたちは、実に多くのことを教えてくれた。
特に、どんな小さな身体にも勇気が宿ることを私は学んだ。
タイラーは、生まれつきHIVに感染していた。
母親感染者だった。
彼はうぶ声をあげたときからずっと医療に頼って生きてきた。
五歳のとき、胸の血管に管を挿入する手術をした。
この管はポンプにつながれており、このポンプを、彼は背中の小さなデイパックに入れていつも背負っていた。
ポンプには薬が入っていて、管を通してたえまなく彼の血管に送り込まれていた。
ときには、呼吸を助けるために酸素も補給しなければならなかった。
それでも、タイラーは、毎日せいいっぱい遊んだ。
裏庭を走り回っている姿を、よく見かけたものだ。
薬入りのデイパックを背負い、酸素タンクを積んだワゴンをひきずっている。
私たちはみな、生きているのがひたすらうれしいようなその姿、その生命力に目をみはった。
タイラーはいつも動き回って遊んでいたから、母親は「赤い服を着せるわよ」とよくからかった。
赤なら目立つから、タイラーをすぐに見つけられるというわけだ。
しかし、さすがのタイラーもこの致命的な病気に衰弱していった。
母親も重体になった。
彼が余命いくばくもないことが明らかになってきたとき、母親は彼に死について話して聞かせ、
ママも、もうすぐ天国に行くわ。またいっしょになれるのよ」と言って慰めた。
死の数日前、タイラーは私を病院のベッドのそばに呼んで、こうささやいた。
「ぽく、こわくないよ。でも、ぽくが死んだら、赤い服を着せてね。
ママ天国に来るって約束してくれたんだ。
ママが来たとき、ぽく、遊んでるかもしれないでしょ。
だから、すぐに見つけてもらえるようにしたいんだ」

シンディ・ディー・ホームズ

このウラログへのコメント

  • なな♪ 2011年05月04日 23:57

    qubereyさん:そうですね。全く同じじゃなくても少しずつでも確実に回復していってほしい

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