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成程話:本当のやさしさ

2016年12月11日 23:57

今日は「やさしさ」について、「本当のやさしさ」についての話。


子どもが病気になった。
この病気を治そうと思うのがやさしさ。
心配することがやさしさではない。
しかし、多くの人はオーバーに心配をしている人をやさしい人と勘違いする。
「痛い、痛い」と言うときには、膿を出さなければならない。
痛くても膿を出すのが慈愛である。
膿を出す人がやさしい人である。
しかし、体が痛いときと違って心が痛いときに、本人は原因に気がついていない。
だから、心の膿を出す人を「ひどい人」と憎む。
(中略)
貧乏な両親がいる。
子供を不憫に思い、少ない食材でなるべく美味しく食事を作った。
そして子供に、「ごめんねー、食べてねー」と言う。
これがおふくろの味
「ごめんねー」と言える人がやさしい人。
やさしさは無心。
「ごめんねー」と「ありがとう」が言える人がやさしい人。
「ごめんねー」は素直さがなければ言えない。
小さなことに感謝するのは難しい。
心が満ち足りているから、小さなことに感謝する。
やさしい恋人
恋人喧嘩をしても、事故に遭わないかと相手の帰りの電車が気になる。
後で電話をする。
それがやさしさである。

やさしい人
加藤諦三
PHP研究所より


「やさしさ」と「あまさ」の違い。
「きびしさ」と「つめたさ」の違い。
「あまさ」と「つめたさ」は、両方とも無責任、無愛情で、表面的に取り繕っているのです。
「やさしさ」と「きびしさ」は、どちらも責任と愛情があります。

「やさしさ」を考えるときに思い出す、吉野弘さんという方が書いた「夕焼け」という詩を紹介します。

いつものことだが 電車は満員だった。
そして いつものことだが 若者と娘が腰をおろし としよりが立っていた。
うつむいていた娘が立って としよりに席をゆずった。
そそくさととしよりが坐った。
礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。
娘は坐った。
別のとしよりが娘の前に 横あいから押されてきた。
娘はうつむいた。
しかし 又立って 席を そのとしよりにゆずった。
としよりは次の駅で礼を言って降りた。
娘は坐った。
二度あることは と言う通り
別のとしよりが娘の前に 押し出された。
可哀想に。
娘はうつむいて そして今度は席を立たなかった。
次の駅も 次の駅も 下唇をギュッと噛んで 身体をこわばらせて。
僕は電車を降りた。
固くなってうつむいて 娘はどこまで行ったろう。
やさしい心の持主は いつでもどこでも われにもあらず受難者となる。
何故って
やさしい心の持主は 他人のつらさを自分のつらさのように 感じるから。
やさしい心に責められながら 娘はどこまでゆけるだろう。
下唇を噛んで つらい気持ちで 美しい夕焼けも見ないで。


やさしさは、どれだけ相手の立場を考えられるか、相手のことを思えるか。
人には人の事情や思いがある。
この唇を噛んでドキドキしている娘のやさしさに気付ける大人でありたい。
全ては話さないけど、一生懸命な人を応援したい。
やさしさは愛であり、相手の心の声を聴こうとすることから始まるのでしょう。

このウラログへのコメント

  • なな♪ 2016年12月18日 10:43

    克己さん:若い人もおつかれなのかな

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