デジカフェはJavaScriptを使用しています。

JavaScriptを有効にすると、デジカフェをより快適にご利用できます。
ブラウザの設定でJavaScriptを有効にしてからご利用ください。

ドM女性のおもちゃ扱いされたい感覚

2020年09月16日 05:15

ドM女性セックス体験談などでよく使う表現に、「オモチャ扱いされる快感玩具になりたい」 というのがある。もっと露骨に言えば、「性欲処理の道具」 とか、さらには 「公衆便所」 「肉便器」 になりたいなんて願望を持っているようだ。

 こうした女性の心理って、男でも何となく分からない訳ではないが、もうひとつ実感が湧かないものだ。Sな男なら、愛情たっぷりの優しいセックスよりも、やや強引に責めまくっている時の方が女性も興奮しているというのは理解出来る。Mな男なら、自分に置き換えて、男に弄ばれているMな女が感じているであろう興奮をイメージすることはできる。

 では、一体、「オモチャ扱いされる快感玩具になりたい」 という願望をもってている女性の心理状態って、どうなっているのか。結論からいうと、それは人間としてのプライドが壊される屈辱と、女性としての価値を再確認するという、矛盾する二つの意識が同居し、そのせめ際の中で究極のオーガズムを得ているということではないかな。

 フェラチオをとってもそうだ。特にイラマチオとなると、ドM女性はその行為自体に肉体的、精神的な興奮と快感を覚えてしまう。自分の口が、男の快感のための 「性器」 として使われ、生殖器であるペニスを出し入れされる。ましてや仁王立ちしている男に跪いてる姿って、屈辱に違いない。

 しかし、自分の口の中で硬度を増し、射精に向かって腰を振っているのは、女としての自分に興奮してくれている証拠でもある。屈辱的なのに、男が自分の口で気持ちよくなってくれると嬉しくなってしまうという女心。このギャップに揺れながらも、最後は喉の奧深くに、男の快楽の証である精液を無理やりに流し込まれる屈辱と快感ドM女性はこの瞬間に軽くイってしまう。

 セックスとなると、この感覚がさらに増幅される。ましては複数の男に弄ばれると、それはもう異次元快感となるようだ。愛情を確かめ合うような優しい世界とは全く別の、オスとメスが性欲をぶつけ合うような激しい交尾

 特に、四つん這いバックで、男の好きなように、男の骨盤と自分のお尻がぶつかり、 「パンパン」 と音がするほど激しく打ち込まれると、その男の 「女」 にされた感覚に襲われる。男との密着感がないせいか、まるで自分の膣が男のための 「オナホール」 に成り下がったかのような感覚。

自分の存在意義は、男のペニスを入れるための 「穴」 に過ぎないのだ、という究極の屈辱感と、女として男をそこまで興奮させたという嬉しさが、ピストン運動によってもたらされる暴力的な快感の中で交差する。

 これがさらに複数の男に責められると、 「男の人の欲望の処理だけに体を使われている」 という感覚がさらに強まる。愛情のあるセックスだったら、一人の男とするものであり、複数の男が順番で挿入して膣内射精していく、という行為自体が、すでに男の 「快楽のための道具」 以外の何物でもないからだ。それに、次々と男が口の中や膣内射精してくれるということは、女として魅力がなければ、起り得ないことだ。順番待ちしている男の勃起したペニスをみれば、皆が自分の体で欲情してくれている、これからこれを皆、自分の体で受止めるんだ、という気持ちになって興奮もする。

 ましてや、口内や膣内だけでなく、我慢できない男が胸や太股に射精してしまったりして、全身、精液だらけにされると、まるで女王様になったかのような気分になる。さらに、お尻の穴まで入れられると、痛みと同時に、お尻の穴まで使われているという屈辱感に燃えるという訳だ。

 Sな男は、あくまで自分の快楽、突き詰めれば射精が目的だ。結果的に相手がイッタとしても、それは結果であって目的ではない。だから、相手が一度もイカなくても、何度イッテも、関係ないということになる。まあ、これがまた女の屈辱感を刺激するんだろうけど。

このウラログへのコメント

まだコメントがありません。最初のコメントを書いてみませんか?

コメントを書く

同じ趣味の友達を探そう♪

  • 新規会員登録(無料)

プロフィール

ネオあたる

  • メールを送信する
<2020年09月>
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30