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素敵な人話:紛争を平和に解決した日本人
2012年09月03日 09:45
高田屋嘉兵衛は淡路の人で、子供の頃から船乗りになって人に雇われていましたが、後に兵庫に出てきて廻船業をはじめました。
そして、当時まだあまり人が行かなかった北海道にまで出かけ、お米や藍を、北海道の鮭や昆布などと交易して仕事に励んだので、嘉兵衛の家は次第に豊かになっていきました。
その頃、ロシア人がしきりに千島に入り込んでくるので、幕府は警備の役人を千島に派遣していました。更に幕府は国後島や択捉島への航路を開こうとして、熟練した船長を募集しましたが、北の方の海は寒さが厳しく、波風もはげしく危険も多いので、誰一人名乗り出る人がいませんでした。
そこで嘉兵衛は深く決心して、進んでこの困難な仕事を引き受けたのです。
嘉兵衛はまず国後島に渡りました。国後島から択捉島へ渡る海上は、とくに難所でした。嘉兵衛は色々と苦労して潮流を調べた結果、回り道をすれば安全であることがわかったので、意を決して船を出しました。
しばらくすると霧が深くなって、行く先が見えなくなりました。
しかもはじめての航路なので、水夫たちはしきりに心配しましたが、嘉兵衛は自分の考えどおりに船を進めて、無事に択捉島にたどり着くことができたのです。
嘉兵衛は十分に島内を視察して引き返し、幕府にこの航路が安全であることを報告しました。
次の年、嘉兵衛は再び幕府の命を受けて、役人とともに択捉島に渡りました。
嘉兵衛はところどころに漁場を開いて現地の人にそれを教えてあげました。
その後、ロシア人が樺太や択捉島に来て略奪をする事件が起こりました。
そこで、幕府の役人が警戒をしていると、たまたまロシアの軍艦が測量に来て、艦長のゴローウニンらが国後島に上陸したので、役人はゴローウニンらを捕らえて、函館に連れ去りました。軍艦に残っていた副長のリコルトは、いったん逃げ帰り、翌年また国後島近海に来て、艦長の安否を問いただすために日本人を捕まえようと待ち構えていました。
そこへ、嘉兵衛の船が通りかかったのです。リコルドは、嘉兵衛の船を不意に襲って嘉兵衛たちを捕まえ、自らの軍艦に連れていきました。
軍艦の上には70名あまりの兵士が物々しい様子で銃をたずさえて、ずらりと並んでいましたが、嘉兵衛は平気でその前を通って、副長と面会しました。
副長はその様子を見て「この男は、ただものではない」と思い、嘉兵衛のことを丁重にもてなしました。
とらわれの身となって、ついにカムチャッカにまで連れていかれた嘉兵衛は少しも気を落とすことはありませんでした。むしろ嘉兵衛はこの機会にわが国とロシアの関係を改善させようと思って、まず艦内にいた少年を相手にロシア語を学びはじめました。
少し話ができるようになった嘉兵衛が、ある日、副長と語り合ってみると、わが国に来て略奪をおこなったのはロシア海賊のしわざであってロシア政府の指示ではなかったことがわかりました。
そこで嘉兵衛は副長に「幕府に弁解して詫びたほうがよい」と勧めたところ、副長はたいそう喜びました。
副長は嘉兵衛を送るため国後島にやってきました。
しかし、副長は嘉兵衛をすぐには上陸させませんでした。
まずは嘉兵衛の部下の水夫だけを上陸させ、ゴロ−ウニンについて、幕府の役人から確かな返事をもらってくるように命じ、3日のうちに返事をもってこなければ嘉兵衛を再び連れ帰ると言いました。
嘉兵衛は、副長の疑い深いやり方に大いに憤り、交渉ももはやこれまでと思いました。
そこで、嘉兵衛の部下が涙ながらに船を去るのを見送ると、副長のほうに向きなおって「自分が今日まで恥を忍んで生きてきたのは、日本とロシアの紛争を平和に解決しようと思ったためである。仕返しをする気ならいつでもできたのだ。無事に解決する見込みがないのであれば、おめおめと連れ帰られるようなことはするまい」と決死の覚悟を示しました。
副長は嘉兵衛のその勢いに恐れをなし、嘉兵衛も続いて上陸させました。
嘉兵衛は国後島の役人と相談して、副長とともに函館に行き、そこでロシア人と幕府の役人との間に立って、話をまとめました。
その結果、ロシアは前回の略奪行為を謝罪し、日本はゴローウニンらを返し、長い間引きずっていた両国間の紛争もここに解決しました。
金谷俊一郎『日本人の美徳を育てた「修身」の教科書』より抜粋
個人の力でも、志を高く持てば、このような偉大な仕事ができるという好個の例だと思う。
日本人は実に多くの自己犠牲の精神に富んだ人物を輩出した。
その中でもこの高田屋嘉兵衛(1769~1827)の活躍は称賛に値するものだと思う。
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