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銀の花

2010年10月08日 01:12

銀の花







-------  short story 銀の花  -------

四人暮らしの小さな団地の一室で
夕方になると子どもたちが帰宅
四人そろえば賑やかな夕食を囲んでいる。

「ばーさん、仕事で疲れたんだからビールもう一本くらい
いいじゃねぇかよ、え?気が利いてる女房ってのはもう少し
ささっと、グラスがあいたら持ってきてくれてもいいもんだよ、なぁ?」

子どもたちにも同意を求めるように
口を尖らせ気味に、シャツ一枚の父親が団扇をパタパタと
扇ぎながら、まだ家族に食事を出したばかりでせわしなく
台所の片付けをしている妻に向かって言う。

少し口が悪いのはいつもの事で、機嫌が悪ければ
理由もない些細な事で不機嫌になる夫からは、
いつもとんだとばっちりが自分に飛んでくる事にも妻は慣れている。
いつもの小言、と心得ていて
「はいはい、お待ちくださいよ」と慌てて洗剤だらけの
手を荒い、冷蔵庫から用意しておいたビール
取り出して夫の側にそっと座ると、空になったグラスに
たっぷりと注いだ。

暖かな明かりの下で、真夏の暑さを吹き飛ばすように
ジュワッと泡をたてているビールのグラスだけが涼しげだが、
決して豊かではない暮らしを続け、一男一女を育てた
夫婦はもう、五十に近づこうとしている。

子どもに恵まれたのが遅かったのは、経済的な事情もあった。
夫婦は共に両親を早く亡くしており、その遺産なども
無かった。

 ゆえに互いに一人身で生活していた同士で知り合い、そのまま
同棲し、結婚した。
 大手会社に勤務できるような学歴もない二人が
朝から夜まで働いても、二人食べて少しずつ貯蓄していく中では
子どもを満足に養えるかどうか、不安だった。
 また、片方が仕事を辞めて育児をして家庭に入れば収入は半分に減る。

 仕事には真面目な夫だが、夫の給料だけではとても子どもを養い
続ける事が到底無理だと思った二人は、観光旅行や日帰りで
どこかにデートする余裕もなく、ただその日を必死に働くのが
当たり前の日々をすごしてきた。

 やがて妻が三十五を過ぎた頃になってようやく、そろそろ子どもを欲しい、と
いう事になったのだった。

 それまで、二人の周囲の若者達が楽しそうにデート旅行に浮かれていても、
妻は特に夫にわがままを言ったり羨ましがる素振りもせずに
過ごしていた。

 妻はただ、好きな夫が美味しそうに手料理を食べて寛いでくれる
家であれば、それだけで充分に幸せだと思い、満足していた。

 夫の気持ちはやや違う。
 気分次第では、安月給で苦労ばかりかけても文句ひとつ言わない妻に
申し訳ないやら、情けないやら、と男としてはどうしても不甲斐ない
自分をつい責めるような苛立ちを感じることがあり、その都度、
応援している野球チームが負けただの、仕事中に些細なトラブル
あった程度の些細な事で、機嫌を悪くしてだだっ子のように
妻に八つ当たりしてしまう。

 暴力など振るう程ではないが、
言葉の端々でつい、「まったく気がきかないなぁお前」などと
余計な一言を付け足してしまったりする度に今度こそ直そうと
思うが、妻が毎回ながら、容認してくれているのでつい、甘えて
しまっているのだった。

 しかし本心では、夫にとって妻のいる
家こそが帰る場所であり自分が心から居心地がいいと思える
家だった。それがたとえ立派な一戸建てではなくとも、いい加減
雨漏りもしそうな中古団地でも、妻がいてくれさえすれば、そして
いつものように穏やかな微笑みで家の皆を見守ってくれさえしていれば
他に何もいらないと心底、思っていた。

 勿論不器用で照れ屋な夫は一言も口が裂けても妻にそんな言葉を
言った事は一度もない。

 感謝といえばせいぜい「あなた、風邪ひくから上着こっちにしたほうがいいわよ」と言われても「うん、わかった」で済ませてしまうが
この「わかった」を言うことで「ありがとう」を示しているつもりだと
自負しているほど、普段は無愛想きわまりない男だった。

 仕事を労うにしても体調を労うにしても、色々と細かく聞いても
どのみち「うん」「まぁな」「いや」程度の反応しかないが
夫の顔色を見れば妻は夫の大抵の気持ちが理解できていて、夫と妻には
飾り立てたような余計な言葉がなくとも通じ合えるような呼吸が
整った空気が常に流れていた。

 夫は妻の誕生日だけは、そんな自分を支え続けている妻に
何か贈り物をしたいと結婚当初は思っていた。

しかし、乏しい財布の中身と、さらに運が悪いことに結婚してすぐに
仕事場で軽い事故にあい、それが妻の誕生日の少し前だった。
 事故後そのまま入院となってしまい誕生日の贈り物を買うどころか、かえって妻に見舞いに来てもらう事になってしまい大変気まずく男の夢は砕かれてしまったのだった。

 怪我自体はたいした事がなく十日ほどで退院出来たのだが、
夫は病室のベッド脇のカレンダー時計を見て、深くため息をついた。
よりにもよって四日後には妻の誕生日が迫っていた。

 何か、してやらなきゃいかんのだがなぁ。色々とあいつが
支えてくれて今の俺がいるんだからな・・・。
 かといって、洒落たプレゼントも思いつかず、何が欲しいのか
聞くことも、見舞いに来た妻に聞いてみようと決心しても
やはりいざとなると無愛想になってしまい、ろくに聞けずに
妻は帰ってしまい、以来、何もしてやれないまま、いよいよ
誕生日が翌日に迫ってしまった。

 その夜、夫は、妻が事故以来、
毎日仕事帰りに文句一つ言わずに見舞いに来て
退屈だろうに、就寝の時間までただそっと付き添っては他愛ない
話をしてくれる姿を思い浮かべ、言葉ではろくに何も
言ってやれない自分が贈れる何かがないか、眠れないので
考え続けていた。やがて、ベッド脇に置かれた松葉杖
持ち、夜そっとベッドから降りてどこかへ向かった。

 翌日、妻の誕生日はひどい大雨が朝から降り続けていた。
病院内の上げ膳据え膳の味の薄い昼食を食べ終え、
一服してベッドに戻った夫は、
こんな大雨の日にまで来させてしまうのもすまないな、と
思いつつ、自分のサイドワゴンテーブルの引き出しを開けて
それを確認した。

 小さなそれは昨夜、手元を照らす小さなランプの下で
なんとか作った僅か親指ほどの大きさの物だった。
 蛍光灯の下でそれは、ちょこんとおとなしく渡される時を
待っているようだった。

 ごめんなぁ。こんな物しかあげられなくて。

 夫は知り合った頃のことを思い出していた。
 妻とは同じ職場でたまたま、帰りに送ってあげたことがあった。
 それがきっかけで以降は毎日、夫が妻を家まで送る事が
自然に日課のようになっていった。

 初めて送っていった日、妻のほうが饒舌だったので夫は道中の
時間の短さに驚いたくらいだった。
 三十分も歩いたはずなのにもう着いたのか。
その間、笑みを絶やさず笑わせてくれたのは
妻だった。男は次の日、ろくに言葉も返せない自分の無骨さに
はがゆい思いを抱えつつ、道端の雑草をみつけた。

 それは白い小さな、どこにでも咲いているようなヒメジオンだった。
いつものように他愛ない話を続ける妻の手をとると、夫は
その花をもぎとり、手渡した。

「これ、君に」と一言いうと
顔が真っ赤になり、照れてしまいそれ以上何もいえなかった。

 妻は一瞬戸惑ったような表情を見せたが、その後嬉しそうに
ありがとう、と受け取って大切そうに抱きかかえて帰宅して
くれたのだった。

 病室にいる間はろくに外出もできないが、そんな中でも
妻に贈れるものはないものか、夫は考えた。

 金を少しはずんでしゃれた物を贈る、などという何かの
コマーシャルドラマに出てきそうな真似だけはしたくなかった。
そして妻もそんな物を喜ぶとも思えなかった。

 なぜなら、二人でデパートに買い物にいっても、
まず貴金属や高価なブランド品などの前は素通りしている妻に
「こういうのは必要ないのか」と何かの機会に聞いてみた事があるが
妻からはあっさりと、自分には必要ない物だといつも同じ
答えが返って来ていた。

 夫は妻の飾ることを嫌う素朴さが好きだった。
 月日を追うごとに、その思いは積み重ねた月日分深まっている。
 好意は恋になり、やがて愛になり、今は家族愛を積み重ねて
いるのだろう。

 夕暮れ時になり、妻が見舞いにくる時間が迫ると夫は
また、もう一度そっとサイドテーブルの引き出しの中のそれを
確認した。
 ・・・もうじき、もうじき手渡そう。無事咲いているか・・?
開けてみると先ほどと同じようにそれは輝いていた。

 「春さん、遅くなってごめんね。ずっと雨ねえ」
病室の扉がガラッと開き、妻が現れたので、大慌てで
夫はサイドテーブルの引き出しを閉めた。

「どう?相変わらず? 痛まない?」
「うん。平気だよ」
それから少し世間話をして間が空いた。

 妻が叩きつける外の雨にちらっと目をやったので
夫は「この大雨の中、すまんな」と目をそらしてつぶやいた。
「平気よ。このくらい横殴りに強い雨だと楽しいわよ」

 屈託のない笑顔がいつものように妻から零れた。
この笑顔が、夫にとってはかけがえのない宝物だと
実感する。
 引き出しをなかなか開けられず、例のものを手渡すのは
妻が帰るときにしようと思った。

「今日は雨もひどいし、暗くなれば夜道の足元も
危ない。お前、今日は少し早く帰っていいぞ」
「え、でも・・・」「わかったかって言ってるんだ」
こんな時の頑固さには妻も慣れている。

「うん・・・そういうなら。寂しくない?」
「バカ野郎、子供じゃねーんだから。」
多少乱暴なことを言っても、妻は大抵笑ってくれるので
助かる。

 妻は微笑むと、「そーよねえ。早く退院できるといいね。あと
少しだって、先生が。もう少しの我慢ね。」
というとレインコートをハンガーから取り出し、帰り支度を始めた。

「あのな、ちょっと渡したいものがある」
「え、何?」
夫は、引き出しを開けて小さな銀色のそれを手にした。
そして「手を開いてくれよ」と妻に言った。
「え?手???」
「両手を開いてこうして」
 夫が手の形をおわん形にしてみせる。

 夫の言うとおりに妻が両手を開くと、そこに銀色の小さな小さな薔薇
一つ、ちょこんと夫の手から乗せられた。

 「うわぁ・・・綺麗。これ・・・何の花?」
 「薔薇・・・のつもり」
 「・・・ありがとう。でもすごい、これどうしたの」

 「・・・お前の誕生日だから、今日。こんなもんしか
やれねえけど。すまん。アルミホイルしか素材もなくてさ」

「なんで謝るのよぉ、嬉しくてたまらないのに。すごく綺麗・・・」

ふと見ると思いがけず妻は瞼を赤くしていた。

「おめでとう、って意味であげたんだから、泣くなよ・・」
「それにこんなもんでそんなに嬉しいとか言うな。本当は
もっと言いもんあげたかったけど、体がな、こんなだから・・」

男が困りつつ、言葉を選んでいると、妻が遮るように
言った。

「私は、気持ちが嬉しいの。その物が何だろうと、関係ないのよ。
だから、本当に有難う。」

温かいまなざしだった。 
 夫は急に恥ずかしくなり、目をそむけてしまったが、
妻は「大切にするね。じゃあね・・」と小さな薔薇を手の中に
包むようにポケットに片手をいれ、笑顔で出ていった。

 病室にはまた、静かな夜の静寂が訪れた。
こうして今迄いた妻が出ていく度に、妻がいた時の、暖かく
和んだ空気が薄れてしまい、夫はたまらなく早く家に
帰りたくなった。

 小さな薔薇、それは決して高価な物でもなかった。

 誕生日の前の夜、何か贈りたいと思った夫は、ナースステーション
まで行き、「あのう、アルミホイルとかありますかね」と
訊いた。

 「何にお使いになるんですか」と聞かれたので
「ちょっといただいたお菓子を包みたいんですがね」と
ごまかした。

 そして、借りたアルミホイルを楊枝で形づくりながら
何時間かかけて、ようやく、深夜にアルミホイルは薔薇の形になった。

 けれど、それは初めて作ったもので、思ったより小さく、
僅か親指の先ほどしかない大きさだった。

 夫はベッド際のランプの明かりの下で、今度は丹念に
花びらを整え、ようやくバランスの取れた可愛らしい薔薇になったと思った。

 はじめて彼女に贈ったのは道端のただの雑草だった。
でも、この薔薇は枯れないぞ。気持ちだけは込めたつもりだ。
退院したらもっと、ましなものを贈ってやろう。

 それから数日後、無事に夫は退院の日を迎えた。
帰宅してから家に帰ると、ふと、あの薔薇はどこにいったのか、気になった。

「お前、あれどこにやったんだ?」
「え、あれって・・・?」
「だからその、病院で渡した花・・」
「あ、あれ? 秘密よ。私だけの大切な物なんですから」
「あんなのがかよ。もっとマシなもん買ってやれるようにするから
それまでは我慢してな」

玄関先で靴を履きながら言うと、妻が靴べらを渡そうとしゃがみ
こんでくれている。
 その妻から、思いがけない言葉が背中に返された。

「はるさん、私、ずっとあれ欲しいな。どんなに適当でも小さくても
いいから、必ず誕生日には あれが欲しいな。沢山ためていって
お花が少しずつ増えていったら・・・って思って・・・」

「あんなのがかよ」
「あんなのじゃないわ。私にとっては気に入った宝物なの。
来年きっとね!お願いね!」
「期待しないで待ってろ」
「はいはい。期待しない振りしてすごく期待させて下さいな」

 夫は照れくさくてちらっと妻を見て「じゃいってくる」と
仕事にでかけたが相変わらずいつもの穏やかな笑顔
妻はちょこんと玄関先に座って微笑んでいた。

 余程あの薔薇が気に入ったのか妻の笑顔はいつもより弾んでいた
気がした。

 この日からもう三十年余りが経つ。
互いに年をとったが、妻の誕生日の夜だけは、食卓の上に
妻が大切そうに箱をもってくる。

 最初は、子供達がいじろうとしたり、「これなぁに?」と
不思議そうな顔をするので「これは私の誕生日を祝ってくれる
とっても大切なお花たちなのよ」と妻は答えた。
その子供達もすっかり大きくなり、今はもう二人とも中学生になる。

 今日、妻の誕生日はさらに素晴らしい夜になった。
子どもたちがお小遣いをためて小さなケーキを初めて
買ってきてくれたのだった。

「二人でお金出して買ったのー。小さくてごめんね」
もじもじしながら娘が言う。息子も照れくさそうに、母親
顔色をうかがっているが「ううん、ありがとうねぇ、高いのに」という
母親笑顔を見ると二人の表情もほっとしたようにパッと明るくなった。

 皆がご馳走を食べている間にそっと妻が小さな箱を持ってくる。
そしてテーブルの真ん中に箱を置くと、夫が「おめでとう、
ありがとうな」と箱の中にまた、一つの薔薇を入れた。

 食卓の真ん中に置かれた箱の中からいくつものアルミ薔薇たちが銀色に輝きを放った。

 蕾のような花、見事に咲き誇ったような花・・・
それぞれ形が違う薔薇たちが寄り添うように箱におさめられている。
 バースディケーキの細いキャンドルの灯りの下、
それはとても美しく本物の宝石のようにまばゆくきらきらと輝いた。

 夫婦は決して裕福でもなく、何か素晴らしい幸運に出会ったことも一度たりとてない。
 どちらかというと二人とも、不運に泣いた月日のほうが多いかもしれない。
 しかし、今は二人が四人になり、寄り添って暮らすささやかな家庭を狭い団地の一室で育んでいる。
 この部屋の中でだけ輝く銀の花は、一年に一度だけ、食卓を彩る。
 これからもきっと、銀の薔薇は増え続け輝きを増してゆくのだろう。


      -------------end.------------

最後までお読みいただき、有難う御座いました。(..)m

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