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ネットのいい話、印象的な話、素敵話

2013年11月21日 22:06

[一生懸命でも泣いてもいいんだよ]
保育の仕事にあこがれ、やっと就職できた保育所で現実の大変さを知りました。
女性が多い職場での独特の難しさ…
子供達の保護者とのやりとりの難しさ…
日々の保育カリキュラムを考えたり、行事に合わせて製作物を作るのに家に持ち帰って日付がかわるまで毎日頑張ったり…などなど。
子供達と関わっていられるだけで幸せと思えたはずなのに、段々とその気持ちも薄れ、大変だと、もう逃げ出してしまいたいとそんな思いばかり募る一方の日々・・・。
人によく神経質でまじめだといわれる私には向かなかったのかな。今、受け持っている子達が卒園したら別の道を考えようと春を迎えるのを待つばかりでした。
そんな時、まだ4歳、5歳という子供達がまだ覚えたてのひらがなを使って、お手紙をくれました。
お手紙をたどたどしく一生懸命読んでくれた、その中の一言に、私の心は動かされました。
「せんせいはいつもいっしょうけんめいだもんね。いっしょうけんめい あそんでくれるから たのしいよ。いっしょうけんめいじゃなくても やさしいせんせいがだいすき。せんせいは ないてるみたいなときもあるよ。いっしょうけんめいでもないてもいいんだよ。みんながせんせいをまもってあげるよ。」
という手紙。
その中の「一生懸命でも泣いてもいいんだよ。」という一言。
よっぽど子供の方が大人よりもいろんなことを分かっているなと思いました。
一生懸命頑張ってたって、泣きたいときは泣け!
そうお説教された気がして、一気に気持ちが吹っ切れました。
未だにそのお手紙は大事にとってあります。
何かあるたびにそのお手紙を引っ張り出して、自分を奮い立たせています。
子供のチカラってすごいな、だから子どもと関わることはやめられないなと改めて、保育の仕事をしていて良かったと思いました。
お手紙をくれた子はいま小学4年生。
私は保育の仕事を8年続け、今は結婚し、自分の子供を産むべく頑張っています。
これからも心の中にあの一言を忘れず、自分らしく生きていきたいです。


[交通事故]
交通事故加害者側の家族が一家心中をしようとした。
………
交通安全週間のある日、母から二枚のプリントを渡されました。
そのプリントは、交通事故についての注意等が書いてあり、その中には実際にあった話が書いてありました。
それは交通事故加害者の立場で亡くなった人の家族の話でした。
残されたのはお母さんと子供達、上の子が小学二年生、下の子が五歳の男の子の兄弟です。
この人達は事故補償等で家もなくなり、土地もなくなり、住む家もやっとのことで四畳半のせまい所に住めるようになりました。
お母さんは朝6時30分から夜の11時まで働く毎日です。
そんな日が続くある日、三人でお父さんのいる天国に行くことを考えてしまっていました。
(以下、プリントから)
朝、出かけにお兄ちゃんに、置き手紙ををした。
「お兄ちゃん、お鍋にお豆がひたしてあります。それを煮て、今晩のおかずにしなさい。お豆がやわらかくなったら、おしょう油を少し入れなさい」
その日も一日働き、私は本当に心身ともに疲れ切ってしまった。
皆で、お父さんの所に行こう。
私はこっそりと睡眠薬を買ってきた。
二人の息子は粗末な布団で丸くころがって眠っていた。
壁の子供達の絵にちょっと目をやりながら、枕元に近づいた。
そこにはお兄ちゃんからの手紙があった。
「お母さん、ぼくは、お母さんのてがみにあったように、お豆をにました。お豆がやわらかくなったとき、おしょう油を入れました。でも、けんちゃんにそれをだしたら、「お兄ちゃん、お豆、しょっぱくて食べれないよ。」と言って、つめたいごはんに、おみずをかけて、それをたべただけでねちゃった。お母さん、ほんとうにごめんなさい。でもお母さん、ぼくをしんじてください。ぼくのにたお豆を一つぶたべてみてください。
あしたのあさ、ぼくにもういちど、お豆のにかたをおしえてください。
でかけるまえに、ぼくをおこしてください。
ぼく、さきにねます。あした、かならずおこしてね。お母さん、おやすみなさい」
目からどっと、涙が溢れた。
お兄ちゃんは、あんなに小さいのに、こんなに一生懸命、生きていてくれたんだ。
私は睡眠薬を捨て、子供達の枕元に座って、お兄ちゃんの煮てくれた、しょっぱい豆を涙と共に一つぶ一つぶ、大事に食べました。
……
このお話を読み終えた時、私と母の目から、涙が出てきました。
そうして、何度も、何度も、くり返し読みました。
私は今まで、交通事故被害者だけが悲しい思いをしていると思っていましたが、このお話を読んで、加害者も私達以上に悲しく切ない思いをしていることがわかりました。
毎日、毎日、日本のどこかで、こういう子供達が生まれているのかと思うと、とてもたまりません。
どうか、お願いです。
車を運転する皆さん、交通事故等、絶対におこさないで下さい・・・。


[ある女性の教師と子供の出会い]
先生が小学五年生の担任になった時、どうしても好きになれない児童がひとりいた。
その少年は、一人服装が不潔でだらしなかった。
中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。
あるとき、少年の一年生の記録が目にとまったのである。
一年生・・・朗らかで、友達が好きで、人にも親切。
勉強も良く出来、将来が楽しみ。
間違いだ。
他の子の記録に違いない。
先生はそう思った。
二年生・・・母親が病気で世話をしなければならず、学校に遅刻する。
三年生(一学期)・・・母親の病気が悪くなり疲れていて教室で居眠りをする
三年生(三学期)・・・母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる。
四年生・・・父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子供に暴力を振るう。
先生の胸に激しい痛みが走った。
ダメと決め付けていた子が突然、悲しみを生き抜いている生身に人間として、自分の前に立ち現れてきたのだ。
放課後、先生は少年に声をかけた。
「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?分からないところは教えてあげるから」
少年は初めて笑顔をみせた。
それから毎日少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。
授業で少年が始めて手を挙げたとき、先生に大きな喜びが沸き起こった。
少年は自信を持ち始めていた。
それはクリスマスの午後だった。
少年が小さな包みを先生の胸に押付けてきた。
後で開けてみると、香水の瓶だった。
亡くなったお母さんが使っていた物にちがいない。
先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪れた。
雑然とした部屋で独り本を読んでいた。
少年は、気がつくと飛んできて、先生の胸に顔を埋めて叫んだ。
「ああ、お母さんの匂い!今日はなんて素敵なクリスマスなんだ」
六年生で少年の担任ではなくなった。
卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。
「先生は僕のお母さんのようです。そして今まで出会った中で一番素晴らしい先生でした」
それから六年、またカードが届いた。
「明日は高校卒業式です。僕は五年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって、医学部に進学することができます」
十年経て、またカードがきた。
そこには先生に出会えた事への感謝と父親に叩かれた経験があるから患者の痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。
「僕はよく五年生のときの先生思い出します。あのまま駄目になってしまう僕を救って下さった先生を神様のように感じます。医者になった僕にとって、最高の先生は五年生の時に担任して下さった先生です」
そして一年。
届いたカードは結婚式招待状だった。
「母の席に座って下さい」と一行、書きそえられていた。

このウラログへのコメント

  • wwwうさぎjp 2013年11月21日 22:27

    今回のは良い話ばかり
    友達の親が飲酒運転、信号無視でひき殺されたのに
    犯人は今幸せなのは納得いかない

  • なな♪ 2013年11月21日 22:29

    仮面紳士さん:犯人の人は何も言ってこないのかな

  • なな♪ 2013年11月21日 23:33

    PANDAさん:そうですね

  • なな♪ 2013年11月22日 23:46

    さあさん:そうですね 流石読書家さん

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