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傘とグレープフルーツ

2010年08月27日 13:59

傘とグレープフルーツ

この季節になると
ふと思い出す出来事がある

まだ中学生の頃
下校の時、ひどい台風が近づいていた
帰り道、案の定途中から叩きつけるような
横殴りの雨になり

傘を持たない私はむしろ、居直って
スコールのような雨を楽しみながらも
靴の中に水が入るのもいやで

夢中で家まで走っていた

ふと、家の隣の空き地の大きな木の下に
人影をみつけた
最初は頭までかぶった黒い上着の中から
目だけが見えて
小さな魔女のように見えてドキリとした

けれど、その小さな人影は
近づくと、どうやらかなり年老いた老婆だと
気づいた
ただひたすら前方をみつめたまま
佇んでいる

目があった瞬間
互いに雨に打たれた無様さに
不器用笑顔を交わし
急に親近感が沸いた

まるで濡れねずみのように
老婆は、塀にもたれるようにして
大きな木にできるだけ身をよせて
静かにたたずんでいた

とっさに、傘がないから雨宿りをしているんだと
気づいた私は

老婆を横目に、まず傘を貸すために
家に早く入ろうと思った

老婆のいる塀のすぐ横が我が家への門扉だった
ガレージを走り抜けて
慌てて傘を取りに自宅の扉を開く

どうしたの と母がたずねる
いきなり走って帰宅した娘が
関脇の扉をあけて何かあさっているのだから
不審に思っても無理はなかった

「いらない傘 捜してるの。うちにはいらない傘も
あるよね。いらない傘ならあげてもいいよね」

「誰に」母の視線は冷たかった

「雨宿りして困っているおばあさんがいるから」

「傘を貸しても返ってこなかったらどうするの」

「責任は私がもつから。もし傘が戻らないといけないなら
来月のお小遣いからいくら差し引いてもいいから」

母は無言だった

私は、会話をしている間に老婆が諦めて
ずぶ濡れのまま歩いていってしまうのではないか
不安でたまらなかった

一刻も早く傘を届けたかった

目もあわせず老婆のすぐ横を駆け抜けてしまった
自分が、まるで知らん顔で困っている老婆を
見過ごしたように思われる事も
不本意だった

無理やりのように母を振り切って
不要なはずのビニール傘をもって
老婆のもとに走った

小さな体の老婆は丸くなった背中で
黒い上着を頭までかぶり
じっと雨がやむのを待つようにまだ
同じ場所にいた
最初みつけた時も

一息ついて
「あの、これ、いらない傘だから返さなくていいですから
どうぞ使ってください。この雨しばらくやみそうに
ないから。風邪ひくといけないし」

緊張でつい早口になって一気にまくしたてながら
傘を差し出した

老婆は澄んだ瞳をこちらに向けてしわくちゃな顔を
ほころばせて 驚いたように言った

お嬢さん貸してくださるの。ありがたいこと。
どうもありがとう。お言葉に甘えていいの


「いいんです。どうせいらない傘なんです」

傘を改めて開いて手渡した

お嬢さん、ありがとう。お宅はどこなの」

返しにくるつもりだな、と思ったので
自宅がどこかは言わなかった

「それじゃ、気をつけて帰ってくださいね。」

九月も近づき、雨宿りをしているとはいえ
横殴りの雨に叩きつけられて老婆の体が冷えたら
冷たい雨で風邪でもひくのではないか
気が気で仕方がなかった

沢山の疲労をにじませた姿
小柄で押したら倒れそうな細い体だと
思った
もう孫までも成長しているくらいの年かもしれない

早く自宅で一息ついて楽になってほしかった

一人でじっと雨宿りをしているのは
どんなに退屈で孤独な時なんだろうかと
思った

いつから居たのだろう、とも。

おばあさんは何度も振り返りながら
お礼を言う

「ただのいらない傘だし私は家が近くてもう
傘いらないから。押入れに眠っていた傘なんだから
おばあさんが使ってやっと意味があるんです。
気にしないでください。返さなくていいですから」

改めて言うと、微笑んで手をふって
坂道を下るおばあさんを見送り、すぐに
きびすを返して自宅に戻った

暑いですからあがってお茶でも
という言葉を押し殺して。


母が冷たい視線をこちらに投げかけた

「知らない人にいらない親切なんかして」
「相手は返すって言ったの?人をたやすく信用なんか
するんじゃないのよ」

「返さなくていいっていらない傘を渡すことが
なぜいけないの。びしょぬれだったんだよ
このひどい嵐の中」

私にとって当たり前のことが
母にとっては

大抵すべてが腹がたつ行為だった

私が新たに考え出した価値観
いつも母が無理やりな理屈で
打ち砕くための材料にされていた

台風も通過し、よく晴れた土曜日
もう傘のことは忘れていた頃

また少し暑さが戻ってきて
朝晩がやっと涼しくなる九月

夕方、玄関のチャイムが鳴った
応対に出た母が私を呼ぶ

何だろうと思ってみると
いつかの老婆が白いビニール袋いっぱいに
グレープフルーツを入れて
立っていた

老婆は
私の顔を見るなり「ああ、お嬢さん!
あのときは本当にありがとう。お陰さまで
本当に助かったのよ。
これたいしたものじゃありませんが
これ、ほんのお礼です・・・
お母さん、あなたのお嬢さんのおかげで
雨にぬれずに帰れました。いいお嬢さん
お持ちですね・・・」

私はあの日 老婆があの急な下り坂を降りていく
後姿を思い出した

すると、我が家までこの日照りの中
わざわざ高齢の体で長い坂をのぼって
我が家までお礼をしに来たということなのか。

それじゃあ体もしんどいでしょうに。

それに袋いっぱいの果物
これだけでも重たかっただろうに。

しわくちゃな細い手に重たそうに
グレープフルーツがぎっしり詰まったビニール袋が
握られているのをじっとみつめた

お礼を言いに
できるだけ早く行かなければ
という老婆の気遣いを思うと

せめてお茶でも、といいたかった

けれど主導権は母が持っている

「い、いえ・・」老婆と目を合わせて微笑み
あった直後
母の様子をうかがうと

お茶でも、などという態度では決してなかった

作り笑いをしたまま母は「どうもすみませんねぇ」
グレープフルーツを邪険に受け取ると
私に持てといわんばかりに押し付けた

老婆は律儀に傘も持参していた

「それでこの傘、お返しにきましたので
本当に有難う御座いました。お錠ちゃん
元気でねぇ。それでは失礼します」

私は最後まで「どうぞ冷たいお茶でも」と
いえなかった

おばあちゃん お名前は。住まいは近いの。
また会える? 色々な言葉が 何ひとつ
言いたくても言えなかった。

主導権は母・・・

玄関の扉を閉めると気まずい空気が流れ出した

いつものことではあるけれど
いつも なじめない 重たい空気

傘を収納へ戻すと母はまた仕事に戻り

私も自分の部屋に戻った

次に部屋が出てくると母がぽつりと言った

「あんたから
今回だけは大切なこと
教わったわ。
 私があの時傘を貸すことに反対したのは
間違いだったわ。
 人を信じることは大切なんだって
あんたから教わったわ」

 私は何も言わなかった。
母に教えるつもりもない行為に対して
何をどう反応していいのかわからなかった。

 ただそう思うなら
あの時なぜ
暑い中来た高齢の人を招きいれて
お茶を振舞うことくらいできなかったのか
懐疑心で固められ人を信用せずに生きる母を
さめた目で眺めていた

もし私の主張が通る家なら
老婆を居間に招いて
少しばかり微笑みをもてる雑談のひとときを
共有できたらどんなに心地よかっただろうなどと
想像したりしていた


 それきり
 何度その道を通っても
 雨の日ふと気になって大きな木の下を
探しにいっても

 二度とその老婆に出会えることは
なかった

 雨の匂い 
 王冠が道路に沢山はじけてできていく

 不思議などしゃぶりの雨の景色

 いらない傘
 疲れきって疲れきって佇む
 小さな小さな老婆の姿
 はじけそうな黄色いグレープフルーツ

 思い出すと まだ幼い頃の私だけが
 あの頃の夏に戻っていく。

 元気で過ごせただろうか
 一人暮らしだろうか
 最後まで幸せだと思える家族と
 あたたかくすごせているだろうか

 何度もこの季節になると
 心を馳せる

 老婆は私にお礼を言ったけれど
 とてもくすぐったくて恥ずかしかった

 私はただ老婆に近寄りたかった
 野良猫のように
 きまぐれな猫のように
 ただそばで傘を渡すそれだけを
 したいだけだったから。

自宅がどこかわからないように
気づかれないように足早に走り去ったのに
自宅を確認していた律儀な人
余計な手間をかけさせないよう
家がどこか言わずに傘を渡したのに。

それでも わざわざ
あの老婆が長い坂を一歩ずつのぼって
私傘とお礼果物
もってきてくれたことが
かけがえのない嬉しいひと時だった

 お嬢ちゃん 元気でねぇ

 優しい言葉が胸にしみた

 お礼を言うのは私のほう。
 私のほうなんだよ おばあちゃん。


https://www.youtube.com/watch?v=h9fhme-Tmk4
不良少女白書

このウラログへのコメント

  • SUN 2010年08月27日 14:51

    同じ様に大阪出張時、私は老婆の立場に~
    青年はビルに入る為あげると~
    後に商社を通じ探したが探せず~

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