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悲しいけど響く話…【ありがとう】
2012年01月17日 20:23
心に響くお話を教えて貰いました
【ありがとう】
小児ガンだった娘の話をしますね。
娘は平成10年3月31日、光の世界に帰りました。
最後の3か月は実は病院ではなく、自宅で過ごしました。
その時の私たちは必死でした。
何とかして病気を治して、もとの元気な娘になって欲しかったんです。
病気を治す色んな機械も購入して使いました。
その他多くのことをやりました。
でも今から思えば
もっと一緒に楽しんであげれば
良かったと思います。
日に日に痩せ衰え、痛みに苦しむ娘を
私たち夫婦は精一杯看病しました。
自分では歩くこともできない娘をおんぶして
お風呂にそのまま入ったとき、
痛みが少し和らいだ娘の顔は
とても幸せそうでした。
支えている私も泣きながら
お風呂に浸かっていました。
いてくれるだけで嬉しい。
生きていてくれるだけでありがたい。
夜は私と主人の間に娘が寝るのですが、30分ごとに訪れる痛みを和らげるために私たちは娘の体の位置を変えてさすってやりました。
正直言ってとても辛かったです。
でも・・・でも・・・・
いてくれる「だけでいい・・・
娘がいなくなることが怖かったんでしょうね・・・
辛い痛みの中でも出来るだけ私たちに笑顔を見せようとしていた子でした。
「お母さん、ごめんね」
「もっと元気だったらお父さんとお母さんも疲れないのにね」
「お母さん、私もっと生きたいよ」
痛みが出ると治療器でその痛みを和らげてあげました。
もうこれはいけないなと思い、病院へ連れて行く車中で意識があまり定かでない娘がこう言うんです。
「お父さん、お母さん 信じ合って、支え合って、分かりあって生きてゆくんだよ」
「悲しいときや 苦しいときほど 笑うんだよ」
などと強い口調で私たちに言うのです。
病院での最期のとき、たんが気道を満たして声にならない声で言った最期の言葉が・・・
「ありがとう」
なんです。
それまで全身の痛みで>抱くことはできなかったのですが、最期は私の腕の中で静かに息を引き取りました。
私たちは「ありがとう」を言うために生まれてきたのかもしれない。
娘の短い人生の中から気付かせてもらいました。
あなたとの出会いに心からありがとう。
心に響くお話です。深く考えさせられました。
ありがとう ありがとう ありがとう。
このウラログへのコメント
有難うは不思議な言葉。言いたいし、言って貰いたい言葉。人生は時間の長さでは無く、如何生きたかで決まる
なださん:そうですね長さは関係ないみたい。長く生きるのも勿論素敵ですが
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