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うっ、泣ける

2016年01月15日 07:05

私の弟は28歳で亡くなりました。

脳疾患持ちで、合併症により15歳まで生きられない、20歳まで生きられれば幸いと、
医者からは言われていました。
よくぞ28歳まで生きたものです。

弟が小学5年生のとき、無理を言って普通学級に編入させてもらったときのこと。
弟にケイタ君という友だちができました。
家庭に事情のあるケイタ君は、5年生ですでにゲームセンターに入りびたり、
タバコを吸うような早熟な不良でした。
そんなケイタ君、なぜか弟の面倒だけはとてもよく見てくれました。

子ども残酷なもの。
クラスの中に呼吸器を引きずったクラッチ付きの子に、決して寛容ではありません。
弟は男の子からも女の子からも、陰湿なことをされました。
しかし、それはケイタ君がそばにいない時だけでした。   
ケイタがね、『いじめられたらすぐに俺に言え、お前は俺の舎弟だからな』
 だって。でも舎弟ってなんだろね。子分のことかな?」  
弟はいつも家に帰ると、母と私にそう言ってました。

修学旅行に行く途中で弟がそそうをしてしまったとき、一斉にはやしたてた同級生を尻目に、
ケイタ君はシモの世話さえしてくれたのです。
6年生の男の子がです。

卒業した弟が養護学校中等部に入ると、ケイタ君は一層気合の入った不良になってました。
だけど、養護学校の催すバザーに来てくれたり、
生徒たちによるフォークダンスへの参加さえもしてくれました。

なぜケイタ君のような優しい子が、不良と呼ばれるのだろうと思いもしました。

その後のケイタ君、何をやったのか、16歳のとき警察に連れて行かれ、噂では少年院に入院したとのこと。
それから東京に行ってしまったとも聞きました。

とにかく、ケイタ君とはそれっきりになってしまったのです。

弟が死んだとき、28歳の短い生涯を象徴するように、身の回りの持ち物は極めて質素なものでした。

そんな所持品の中に、きっと弟が大切にしてたであろう木箱がありました。  
弟が死んだ時、私も両親も、悲しみよりも、 
「やっと楽になれたね、よく28まで生きたね」
と落ち着いた気持でその事実を受け容れました。

しかし、弟の身の回りの持ち物、その中の木箱を開けたときに、
母も私も胸しめつけられる思いに陥り、涙が止まらなくなったのです。

木箱の中には、弟の宝物がいくつか入っていました。

一枚の写真と数通の手紙は、薄紙で包まれとりわけ大切そうにしまいこんでありました。

写真は、弟の養護学校時代のものです。
弟の隣に寄り添い、腕を組み、カメラマンにガンを飛ばす金髪少年が写っています。

そうなんだ、ケイタ君、
私たちが知らないときにも、弟のいる養護学校に訪ねてくれてたんだ。

手紙は、いずれも便箋1枚に少ない字数のものばかりです。

「おまえはいつでも俺の舎弟だ」
とか

「早く元気になれ、ドライブに連れってやる」
とか

「寂しくなったらいつでも言え、すぐ俺が来る」
とか、

どれもこれもがつたないけど、弟を強く励ます一行二行です。

母と私は、それらを前にしてたたずみ、
あふれる涙をこらえることができなくなったのでした。

ケイタ君、
今どこにいるのですか?
幸せにしていますか?
私は、今、すごく君に会いたい。
会ってすぐにその手を握り締めたい。

このデジログへのコメント

  • いつか☆ 2016年01月15日 07:13

    会わない方が、よいと思う

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