- 名前
- なな♪
- 性別
- ♀
- 年齢
- 42歳
- 住所
- 神奈川
- 自己紹介
- 下ネタは受け付けてないのでメール頂いてもそれに関してはお返事できないかも。 メールや...
JavaScriptを有効にすると、デジカフェをより快適にご利用できます。
ブラウザの設定でJavaScriptを有効にしてからご利用ください。
ある言葉
2017年08月06日 23:59
「人の一生は長く、常に平穏無事ではない、静かな春もあれば、夏の熱暑もある、道は嶮(けわ)しく、風雪は荒いと思わなければならない、この世は花園ではないのです」~竹柏記~
「みんなが重い荷を背負っている。境遇や性格によって差はあるが、人間はみなそれそれなにかしら重荷を負っている、生きてゆくということはそういうものなんだ、そして道は遠い・・・
互いに援(たす)けあい力を貸しあってゆかなければならない、互いのいたわりと助力で、すこしでも荷を軽くしあって苦しみや悲しみを分けあってゆかなかればならない。自分の荷を軽くすることは、それだけ他人の荷を重くすることになるだろう。道は遠く、生きることは苦しい、自分だけの苦しみや悲しみに溺れていてはならない」
~つばくろ~
文学この言葉は文学者、山本周五郎さんの著書の名言を集めた“泣き言はい
わない(新潮文庫刊)“からのもの。
心に響くといったら本当に単純な言葉になるけど、山本周五郎さんの単語ひとつひとつが私はとても胸にグッと来る気がする。。。
8月に入って少しずつお盆も近づいてきてるし今日はこんな話を‥‥
2013年3月9日の新聞記事(読売新聞朝刊)を紹介。
鈴木高利さん(46)、長男智博君(13)、長女 奈桜(なお)さん(11)、次女 柚葉(ゆずは)ちゃん(4)。年齢は新聞掲載当時で、お父さんと3人の子供たちの話。
『くたくただけど、ほんの少し歯車が回り始めた』
そう思えるようになるまで2年かかった。
あの日、強い揺れに襲われたのは市場で水揚げをしている時だった。
港から約100メートルの自宅に駆け込んだ。妻の智子さん(当時38歳)は散乱した人形を片づけていた。
父の金利さん(当時79歳)母の律子さん(当時79歳)の3人に『早く高台さ逃げろ』と呼びかけ、自分は仕事で使うフォークリフトを高台に移しに家を出た。津波が襲ってきたのは高台に着いた時だ。
子供たちは学校や保育所にいて無事だったが、妻ら3人は避難所に現れなかった。女川町は住宅の7割が全壊。一時、奈良県にある妻の実家に身を寄せていた一家が仮設住宅に入居できたのは、震災から9カ月後だった。
『男手一つでも、頑張ればなんとかなる』
4人で始めた新しい生活は、そんな思いを消し飛ばした。
これまで『男は海で稼ぐのが仕事だ』と信じて疑わず、台所に立ったことも、洗濯機を回したこともない。
生活のために始めた釣り船に乗るアルバイトに加え、買い物やゴミ出しなどの家事が重なり目が廻るような日々。
母乳で育てていた柚葉ちゃんは哺乳瓶を嫌がってミルクを飲まず、高利さんを困らせた。海に出たい。でも、3人の子供を長時間放っておけない。仲間が次々に漁を再開する姿に、焦りが募った。
そんな父親の姿を見ていた子供たちが少しづつ変わり始めた。
バレーボール部に入った智博君は2年で背が10センチ近く伸び、2人の妹の面倒をよく見るようになった。奈桜さんが夕食後、洗濯物を干して、蒲団を敷いてくれる。『ママはいつ帰ってくるの』と泣いていた柚葉ちゃんは、『お空の上で見てるんでしょ』と笑顔を見せるようになった。
『もう一度、漁をやろう』
そう思えるようになったのは今年になってから。親戚の手を借りれば、柚葉ちゃんを保育所に預けている間、漁へ出られる。自分には震災後もメンテナンスを欠かさなかった8トン漁船「金宮丸」がある。
6日午前3時過ぎ。暗い海に船を走らせた。初日は「春の告げる魚」といわれるメロウドが2.5トンの豊漁だった。
2年前のあの日も追っていた魚だ。
沖合の風は冷たかったが、『俺は戻ってきた。まだやれる』という喜びで体が震えた。妻と両親を奪った海。
だが不思議と憎しみの気持ちはわいてこない。
『オヤジも漁師。俺は海に育ててもらった。これからも海の恵みで子供たちを育てていく』
ずっと海とともに生きていこう。
海に奪われ、海に生きる。そして家族皆で生きる・・・
私の言葉では陳腐で何も言えないけど、この新聞記事を読んだ2013年に宮城県石巻市の港を観た。
魚工場の壊れた姿、柱に残る高波の跡は自分の目の高さを軽く超えていて、至る所に津浪の痕が残る港を早朝、漁船が漁に出ていく姿は、なんとも言葉がなかった。実際に行ったとかじゃなく写真ではあったけど。
最後に山本周五郎さんの言葉をもうひとつ紹介。
「人間はそれぞれ弱いところや痛いところをもっている、お互いに庇(かば)いあって助けあってゆくのが本当だ」
~むかしも今も~
。。。震災から6年。。。自分達がこれからも何をするのか、常に問われている気がする。。。
このウラログへのコメント
初めまして
亡き伴侶が福島出身で...
独り暮らしの義母に会いに月一で出掛けています。
孫には、放射線が怖いから来るなと言っています...
コメントを書く