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素敵話:スタンディングオーベーション
2012年08月19日 13:12
上柳昌彦氏の心に響く言葉より
2001年9月11日。
ニューヨークのマンハッタン島で、世界貿易センターの2棟の高層ビルがテロリストの攻撃を受け、多くの人命が奪われました。
[9・11事件]です。
事件が起きてから1ヶ月後、日本全国から11人の消防官が集まって、まだ混乱の残る被害現場で消防・救助活動を手伝う為に海を渡りました。
この11人の消防官達は日本政府や消防庁が派遣したのではありません。
自らの意思で休暇をとっての[ボランティア]でした。
この年の6月に『世界警察・消防競技大会』がアメリカで開催されましたが、そこに日本の代表として選ばれて出場した世界レベルのトップ技術を持った消防官達です。
大会で知り合ったニューヨークの消防官から[仲間が行方不明になっている。助けて欲しい]というSOSメールが入ったのです。
横浜市の消防局に勤務する志澤公一さんはそれを読むと、一緒に競技大会に出場したメンバーに声をかけました。
そして、11人の消防官が集まったのです。
現場に急いだのですが、アメリカ政府は[消防]の目的とはいえ事件が起きた中心部への外国人の立ち入りは厳しく制限していました。
規制線の張られた外側でもどかしい思いで情報の収集を行なっていると、一人の高齢の牧師さんと出会いました。
その牧師さんは志澤さん達が日本から駆けつけた消防官だと知るとこんな話を始めました。
「私が第二次世界大戦に参加した兵士だった時、沖縄に上陸して日本人に銃口を向けたことがあります。それなのに、その日本から我々を助けにきてくれている。心から感謝します。ぜひ貴方達に手伝って頂きたい」
その牧師さん、実はニューヨークの消防官のOBでもあったのです。
そしてすぐに異例ともいえる特別な許可が出て、牧師さんが案内するままに立ち入りの厳しく制限された現場の中心部にまで入ることができたのです。
その日の作業が終わって11人の消防官たちはホテルへと引き上げることになりました。
そして道を歩いていると驚くようなことが起きたのです。
道ですれ違うアメリカ人達が、志澤さん達の姿を認めると駆け寄ってきて、口ぐちに「サンキュー・ベリーマッチ」と声をかけ、時には「有難う」と日本語で話しかけて、更に握手を求める輪ができたのです。
実は11人の活動を地元のテレビ局が報道していたのです。
しかし、更に驚くようなことが起きます。
夜、地元ニューヨークの消防官が今回の活動を労う為簡単な夕食会をしてくれた時のことでした。
大きなレストランの片隅の席につき、注文を決めていると、突然店にいた男性が立ち上がり、店内に向かって大きな声で叫んだのです。
「皆聞いてくれ!日本から私達を助けにきた消防官のボランティアがここに座ってるんだ!」
それまで賑やかだった店内が一瞬静まりかえると、次には全てのお客さんがナイフやフォークを置いて立ち上がり、拍手をしたのです。
最大の賛辞を贈るという意味が込められた[スタンディングオーベーション]です。
そして、数分間も続いた拍手も鳴りやみ、では改めてとメニューを開いていると、注文をしていない食べきれない程の料理が次から次へとテーブル上に並んだのです。
“上柳昌彦のお早うGood Day!”
『母ちゃんダンプ』ニッポン放送
スタンディングオーベーションは満場総立ちで感動や賛辞を拍手と共に贈ること。アメリカではアフガンやイラク等の戦地から帰還した兵士達が空港に現れると、通りがかりの見知らぬ人達が口々に[サンキュー]と言い、拍手も起こるとか。
日本でも東北大震災で活躍し、引き上げる自衛隊員の方々に、横断幕で[有難う]と書き、拍手で送るというシーンが沢山の場所で見られた。
[拍手]や[有難う]の言葉はどんな疲れも吹き飛ばしてしまう程の癒しの力がある。感極まったらスタンディングオーベーションで最大の賛辞を送りたいな。
このデジログへのコメント
-Q-さん:ほんとですね
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