- 名前
- 吟遊詩人
- 性別
- ♂
- 年齢
- 71歳
- 住所
- 東京
- 自己紹介
- 職業 絵描き。 容貌 白髪で筑紫哲也や山田洋二のような感じ。しかしメタボ初老と紳士の...
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男と女のこと(2)-1(続きもの)
2010年01月14日 12:32
転記済み 世の中が複雑になり悩み多いい若い方(私がいう若い方とは50までの方)が多くなっています。
若い方たちが悩みや欲求不満に翻弄されている姿を見ていると、私は痛々しく思うのです。
私一人ではそのような社会全体にある問題を何もできませんが、悩み苦しんでいる方の相談に乗ったり、心底の癒してあげることはできます。
今日は、そのような「男と女」に関わることを少し話すことにします。
男でも女でも、人一般の悩みというものは、考え方の間違いが心の中の矛盾や葛藤を生み、やがて「ナヤミ」といわれるものになるのでしょう。
悩みが解消しないと心の歪みとなり、苦悩や欲求不満などが脳と体に蓄積されていき、やがて心(や精神)が病んでいくようになります。
そこで、このカフェでは女性にしか聞いてもらえませんが、女性にも後学のため男の男性性について少し知っていただき理解を深めてもらいたいのですが、私が男性の悩みの相談を受けるときは、悩みの個人と社会の原因や、その関係などの問題を話してあげるだけでも解決のヒントをあげられます。
男性というは比較的道理や理屈で考えを進められますので、男性は自分自身で考え方を訂正していきやすいわけです。
(男性は、遺伝的生理として、筋肉質であり精子が溜まり活動的になるなどの要因によって―視線や関心が対外に向くようになる。よく言えば大局を見られる。悪く言えは大雑把、無神経、繊細でない。などの性質をもつようになる。)
一方女性の方はというと、女性性は、女性は化粧やおしゃれをしたり裁縫や料理・家事などを何代にもわたってやってきましたし、生理や妊娠などで活動が狭められるため、それを遺伝的気質として視線が自分自身と身の回りへと向かい、意識が細部に閉じ込められがちな性質となります。
そうした女性特有の偏狭的性質によって、現代女性は社会的に弱い立場にいながらも、社会的問題に目を向けづらくしたり論理的に考えて悩みを解決しづらくさせているわけです。
そうした社会の複雑化の問題と女性の気質などよって、女性の悩みが大きくなり押し潰されそうな人も多くなるのです。
(偏狭性は人の先天的性質なので、男女の別はないのですが女性は人の一般的性質の上に女性性の偏狭気質が加わるのです。)
私は、これまでも若いかた(特に気を使うサービス業の方が多い)の心の叫びを聞いてきましたし、心底の癒しを与えてきました。
癒しを求めている方には有効なのが、幾度かの面談を経た後に、乱れた思考や心を整理しつつ、ある段階で相談者の合意と安心感をもとに、
ベットなどで私の胸に女性を抱いてあげ、ゆっくりと背中をトントンしたり、やさしく頭と髪をなでながら、悩みや悲しみの話を聞いてやります。
相談者は、それがたとえば貴方だったら、貴方は沢山泣いて、心からリラックスしてもらい、そのまま静かに寝させてあげます。
1~2時間寝れば体内のそわそわ感や焦燥感、不安感などが静まり、起きればスッキリ、元気がでてきます。
普通のカウンセリングや心相談所やエステ、理療法、精神科医などでは、そのような心底のシコリはとれないでしょう。
というのも、だれも幼児期には母親や父親に、また家族全体に守られていた安心感や、泣いたとき抱きしめられてナダメられてきた経験があって、それが深層の要求となってあるのです。
そのような現象の男性版として、乳房に執着する男性が多くなっているのであり、深層心理として母親の胸のような安らぎを求めているからなのでしょう。
ですいからここで示した癒しの方法こそ、体内のそわそわ感や焦燥感、不安感などが静まり、静かに寝ねて起きればスッキリして、体のそこから元気がでてくるし、その充足感が様々な依存症にも有効なことも理解いただけるでしょう。
上に話してきて理解されるように、私は人と社会への学問もありますし、また人生経験も重ねた年寄りです。
さらに下にも記すように、私は絵描きなので、また私はこれまでも美術モデルや知り合いの奥さんなど裸婦像を何人も描いてきましたので裸婦を見ても簡単に性的な衝動は起きません。
また人生経験も重ねた年寄りだから、若い女性を性対象として見ません(自分の娘も二人いますので、そう見られない)し、私が女性を胸に抱いたとしても安心していただけるのです。
誤解がないようもう一度いいますと、人の根源的な性質や人の社会を学び知って、考えや心の整理ができるよう教授でき、その指導力がなければ癒しにはならないということです。
それがなければ結局は、誰かに抱かれるだけの「癒し依存」(様々な癒し法もあるし、依存の種類もあるように)になるだけです。
次回「男と女のこと」(2)-2に続く
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