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貧しさと幸せの距離

2023年10月29日 07:18

貧しさと幸せの距離

本当に普通に付き合える人、女性は居ないのか?

本当に寂しい人、愛が欲しい人、幸せがほしい人、貧しさから逃れたい人は、私に声をかけて下さい。

女でも男でも、生物学的なオスメスの分類の意味では男と女といえるし、まさに男女なんだろう。

しかし社会学と現実社会と現実の人間、その生活からすると女でもないし男でもないといえる。

特に性愛関係に置いてはそのままでは女でもないし男でもない。

社会や社会科科学的な意味の男女は、社会と男女間にわるナニカ(関係)によって女になり男になるものなのだ。

あるいは女にされ、男にされるのだ。
さらに女になれ、男になれるのだ。

特に女は、しかも若い女子はそのまま女ではない。実際の社会に生きる男女ならば生理学的にも男女ではない。生理学という観念にあるモノの範囲では男女オスメスというだけのことだ。


日常の私と知り合いの若い女子は普通に会話もして、私も女子の話を聞くが、私からすれば私が知りたいことを教えて欲しいしそうしてくれればいい相手としての女の子、若い女性だ。
それ以上は私が求めていない。それが若い女性との普通の付き合い方だ。

それとは別に、若い女性でも壮年の女でも、社会で言う女とはどんなものか教えて貰いたいという若い子と女性がいれば、素直な分だけ教えてあげられる。

しかし経験上から言って、教えられるのは男女ともむずかし、人間が持つ強情な性質で素直さが不足しているためだ。

こうして社会では、歴史的な長期の間に徐々に女も居なくなるし男もいなくなっている。
居なくなってきているようだ。


人間は生得的に愚かな生き物だから仕方ないが、自分で不幸にし、自分で不幸になってることに気付かないようになっている。

つまり自分で愛を踏みつけ捨てていることに、自分で気付かない。

愚かだからそれを知らず、しかし生理的性欲をもとにして、成長とともに自然と愛を求め、寂しさを埋めようとするようになるし、実際に多くの人々がそのようにしている。

本当に寂しい人、愛が欲しい人、幸せがほしい人、貧しさから逃れたい人は、私に声をかけて下さい。私は待っていますし、ここに居ます。

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