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死ぬまでにしたい10のこと; 観た映画、Jan. 09

2009年01月18日 08:21

死ぬまでにしたい10のこと  (2003)

原題;  MY LIFE WITHOUT ME
106分
製作国カナダスペイン

監督: イザベル・コヘット
製作:エステルガルシア
ゴードン・マクレナ
脚本: イザベル・コヘット
撮影: ジャン=クロード・ラリュー

出演:サラ・ポーリー   アン
スコット・スピードマン   ドン
デボラハリー   アンの母
マークラファロ   リー
レオノール・ワトリング   アンの隣人
アマンダ・プラマー   ローリー
ジュリアン・リッチングス   トンプソン医師
マリア・デ・メディロス   美容師
アルフレッド・モリナ   アンの父

スウィートヒアアフター」のサラ・ポーリーが、わずか23歳にして余命2ヵ月と宣告された女性を演じたヒューマンドラマ。幼い子どもや夫に打ち明けることなく、残された時間で本当にしたいことをリストに挙げ、そのささやかな願いを実行していくなかで、初めて生きる喜びを実感する姿を丁寧な筆致で描く。監督は「あなたに言えなかったこと」のイザベル・コヘット。製作総指揮に「トーク・トゥ・ハー」の巨匠ペドロ・アルモドバル
 23歳のアンは、母親の家の裏庭にあるトレーラーハウスで失業中の夫と幼い2人の娘と暮らし、時間に追われる忙しい毎日を送っていた。だがある日、彼女は突然腹痛に襲われて病院に運ばれる。そして検査の結果、医師から余命2ヵ月の宣告を受ける。若さのせいでガンの進行が早く、すでに全身に転移してしまっていた。アンはこのことを誰にも打ち明けないと決意し、ノートに死ぬまでにしたいことを書き出していった。それはちょうど10項目になった。そしてその日から、彼女はその秘密リストを一つずつ実行していくのだった…。

と映画データーベースに記されていた。 私もつい最近知人を亡くしたことからそこでも死について直面せざるを得ないこととなったものの、私の場合は72歳の婦人、今では平均寿命が80歳を越えているのだから70代ならまだ若いといわれるのだし、若い人から見れば老人の部類に入っていて何が若いものかと思うかもしれないが、人の一生、何歳になっても誰も死にたくはないしとりわけ周りに愛するもの大切にするものがいればその惜別に対する思いはひとしおだろう。 私の知人にあってはもう何年もそのときの来るのを心積もりしており実際にその時が来たときには痛みもなく結局最後には本人も皆も納得する結末であり、その悲しみからすでに懐かしみに変わっていく自然な成り行きであるようだ。 孫も何人もおり家族ともうまくいっている家庭の老婦人の弔いだったのだ。 

しかし、それもまだ人生の途上で、自分の連れ合い、子供、両親、仕事、に未だ目鼻が立っておらず青春から成年のトバ口で死と直面するとなるとどうするか。 誰もが一度、二度、しばしば、その人生の局面で考えることでもあろう。 つまり、後二ヶ月で自分はこの世にいない、という状態をどうするか、ということだ。 だから邦題、死ぬまでにしたい10のこと、よりも主人公は邦題にあるような希望を想う過程でむしろ原題の「私のいない(本来私がいるべき)私の生涯」の布石ともいうべき行動をとるのだ。 だからささやかな願いというのはここで自分が死ななかったら自分の生きたであろう人生の延長にあるものであり、とりわけとっぴなものでない以上、それは取り立てて誰に自分の身近に迫った死を語る必要があるのだろうか。 年寄り若者もその状況で一番嫌がるのは自分の死の周りにむらがる喧騒と異常な興奮であり無駄な同情と悲しみなのだ。 

多分主人公の一番恐れたのは自分の他人に対する優しさで他人が、とりわけ身近の若い夫や難しい母親に自分の「異常さ」を気付かれることだったのだろうし、そうなると一度にドタバタ悲喜劇や単なるメロドラマになってしまい自分の人生ドラマがぶち壊しになるのだ。 

ルヴァナの最後のコンサート出会い感涙に咽ぶ17歳の娘に自分のTシャツを脱いで涙を拭いたことで若いカップルが一緒になり今は二人の娘たちも物心ついて可愛い盛りの23歳、自分もまだ若い娘である。 まだ頼りないけれど前向きで若い夫を愛し子供を一生懸命そだて貧しくとも働く母親と小さい諍いがあってもスープが冷めない距離を保ちしっかり一生懸命前向きに生きる若い母親が考えることは世界旅行でも一夜の夢の豪華な快楽でもない。 日常をそのまま敷衍しながら死後の自分のいない世界を自分がそうあらまほしい状態になるよう布石をうつのだ。 その要になるのが彼女に死を宣告する医師との約束でありカセットテープなのだ。 そのカセットは死後自分を見初めて真剣に恋する、世界中孤独な場所にいた測量技師である孤独な男の下にも送られるのだが、その時にはこの男の灼熱の彼女に対する慙愧の想いはどう変化するのか我々には多少とも想像のつくことである。 ここでの「不倫」は不倫ではなく「真摯に死にゆくものに与えられた権利」とでも言うべきもので男の慙愧もそのうち「昇華」するものだろう。 この男のお陰で彼女は彼を通してアラスカからパタゴニアの想像を絶する自然を旅することができたではないか。

何人もの良質の役者が現れるが確かにこの医師もその一人だ。 そして、いつまでも活躍するポップ・グループブロンディー」のデボラハリー演じる母親を見ていると「ダンサー・イン・ザ・ダーク」(2000)でのカトリーヌ・ドヌーヴを想起させられ「ダンサー、、、」の中での印象深い、鉄橋から汽車に乗って踊るシーンのように本作ではスーパーマーケットでの突然の踊りのシーンがはいること、またその歌の相似が浮かび上がるようだ。 何の脈絡もないけれどもう10年ほど前に読んだ Andre Dubus, Adultery & Other Choices / DRG ISBN 0879232846 を思い出した。 死の状況も同じではないけれど同じような雰囲気をもつ作品だったように記憶する。

先週観た死に関わる話、アラン・リックマン主演「スノーケーキを君に」(2006)も味のあるものだった。 本作と両方に関わって面白いと思ったのは両方ともカナダ舞台になっておりそこでの英語の具合とアメリカの混ざり方なのだ。 それに映画のトーンもアメリカ映画とも一線を画しており、けれど、例えばジーナ・ローランズが演じる映画と比べるとどうなのだろうか。 いづれにしてもここで書き並べるのは味のある女性ばかりのようだ。

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