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ネットの話:阪神地震の時の義母の話
2012年05月13日 20:16
結婚当初、姑とうまく噛み合わなくて、会うと気疲れしていた。
意地悪されたりはしなかったけど、気さくでよく笑う実母に比べ、足を悪くするまでずっと看護師として働いていた姑は喜怒哀楽を直接表現せず、シャキシャキ・パキパキ黙々って感じでつい身構えてしまっていた。
何となく「私、あまり好かれてないな」と思う時もあって、当たり障りなくつきあっていた。
その年は、私が秋に二人目を出産したこともあり、混雑を避けて一月中旬に帰省することになった。
そして早朝、今まで感じたことない揺れと衝撃を感じた。阪神淡路大震災だった。
朝釣りに行くという夫達の為に、お弁当と朝食を作っていた私と姑は立っていることが出来ずに座り込んだ。
食器棚が開いて、次々と皿やグラスが降ってきた。
名前を呼ばれた気がして目を開けると、姑が私に覆い被さっていた。
私を抱きしめる腕も肩も頭も血が出ていた。
夫と舅が子供達を抱いて台所に飛び込んできて、私達を廊下に連れ出してくれた。
歪んで中々開かない玄関ドアを開けると、街の景色は一変していた。
義実家はマンションの高層階だったが、エレベーターは止まり階段にはヒビが入っていた。
呆然とする間にも大きな余震が襲ってきた。
廊下の壁にも大きな亀裂が入り、揺れが襲う度に何かガラガラ大きな物が落ちていく音がした。
姑が「あなた達は早く逃げなさい!」と部屋に戻り、皆の上着やマフラーを持ってきた。
泣きながら「あなた達って…お義母さんは?」と聞くと「後で逃げるから!良いから早く!」と恐い顔で言われた。
足が悪くて階段では逃げられない自分は足手まといになると思ってるんだとわかった。
夫が「母親を見捨てて逃げたら、俺はもう子供達に顔向けできない」と姑を背負おうとしたら姑が夫をひっぱたいた。
「あんたが守るのは子供と嫁!産後で完全じゃない嫁を幼子二人を守ることだけ考えなさい!」
そして血だらけの手で私の髪を撫でて「御免なさいね。帰省させなきゃ良かったね、御免ね」と笑った。
結局舅が姑を連れて後から逃げると説得され、私達夫婦は子供二人と先に階段を降りました。
避難所で無事再会出来た時は安堵のあまり「おうおう」と言葉にならない声で抱きついて泣いた。
マンションは数日後に全壊した。
避難所で再会して気づいたが、姑は家族の上着を持ってきてくれたが自分はセーターにエプロンという服装だった。
初めから皆だけ逃がすつもりだったんだと思ったらまた泣いた。
未曾有の事態に母乳がでなくなったり、出ても詰まったり色が変だったりで痛くて脂汗を流しながらマッサージをしていると、産婦人科にいたこともある姑が「熱を持ってるね。痛いね。でも出さないともっと痛いから。代わってあげられなくて御免ね」と泣きながらマッサージを手伝ってくれた。
避難所では「ブランクがあって知識が古いけど」と看護師として働いて周りを元気付けていた。
あの時赤ん坊だった下の子はもう高校生で、舅は他界した。
福島の震災を見ていると、どうしても阪神地震を思い出してしまう。
同居の姑は今も喜怒哀楽をあまり出さないけど、今は何を考えてるかちゃんと分かる。
有難う、おかあさん。あの時の血だらけの貴女を忘れません。
このウラログへのコメント
初めまして!ありがとう
凄く好きな言葉!
そんな気持ちを持てる君は素敵だと思う!
★紅★さん:照れますね有難うございます
偶々、知人のにいて、タンスの下敷になりました。奥さんは、私の為、朝の用意をしてくれていた
管理貞操帯さん:皆さん無事ならよかった
食器棚は倒れて、大変でした。
即玄関を開け、靴を履いて逃げろと、叫びましたよ。
管理貞操帯さん:逃げるしかないですね。最近5/22が危ないという噂まででてますね
明日22日ですが
地震の時、ガスがマイコンメーターになっているから、自動的に止まりますからね
管理貞操帯さん:どうなるんだろう。今後も何もなければいいな
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