- 名前
- Kevin (えいゆう)
- 性別
- ♂
- 年齢
- 49歳
- 住所
- 海外
- 自己紹介
- 日本出身ですがアメリカを拠点としてビジネスを営んでいます。日本に帰ってきた時には主に...
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レッテル張り
2016年05月28日 22:10
日本にいる友達と食事中に、血液型を聞かれました。
「Kevinさん、血液型って何型?」
答える前に思わず苦笑をしてしまいそうになったのですが真面目に、
「O型ですよ。」
と答えました。
彼に言わせるとかなり血液型などを通して人を理解できるというのが言い分だったようです。
僕は人間の性格は本当に数種類しかないのかなーと思う一方、なんで彼が人を理解する術としてこの「基準」が有効なものだと思うようになったのか知りたかったのが本当のところです。
こういうものをラベルといいます。
https://note.mu/yuumizuki/n/n5e69a8dbab63
英語ではlabelingからcategorizationやclassificationといいますね。
これは複雑な状態を簡単に「仕分け」することができ、ある種無秩序のカオス (chaos) の状態に秩序 (order) をもたらす効果があります。
そういう意味ではレッテル張りはとても役に立つ術で必要不可欠です。
ただその術の問題や限界を認識しないで使うと弊害もあることも事実です。では実際にどんな問題があるのでしょうか?
先ず挙げられるのは、そもそもの「仕分け」に問題があたったら根本的なところで問題があります。
第二次世界大戦中にドイツでアーリア人という人種が優れているという理由でユダヤ人を迫害する「学術的」根拠になったことを考えると、そもそもの「仕分け」方に問題があったことが明白になりと思います。
そしてもう一つの問題として挙げられるのは、この一見便利な仕分け方法が物事の理解を単純化し過ぎ、もっと深い複雑な理解を妨げることでしょう。
先に挙げた性格を血液型で理解するというのがいい例ですが、人間色々な複雑な性格があるにも関わらず、血液型の種類だけでその人のことを理解した気になってしまうのは徳よりも損の方が多いいのではないでしょうか?
つまりもっと複雑な現状をあたかも簡単に理解することによって一種の安堵感は得られるのかもしれませんが(誰もが複雑なことを好む訳ではありませんよね)、もっと細かいニュアンスの理解に対してマスクをして隠す作用があると思います。
これがレッテル張りの一番の弊害ではないでしょうか?
皆さんはどう思いますか?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%80%E6%B6%B2%E5%9E%8B%E6%80%A7%E6%A0%BC%E5%88%86%E9%A1%9E
このデジログへのコメント
> 躑躅さん
コメントありがとう!
簡単だからではないですかね?そして秩序があると人は安心するからでしょう。
混沌としているところで平気な人もいますが、なかなかそういう部類の人は少ないと!
> bebeさん
「9割」というのであればちゃんと統計的に調べるべきでしょうね。それって子供の時から調べているのですか、とか?
quasi-scienceで納得した気になるのが一番怖いと思います。
> 桔梗♬さん
ええ、決めつけるのはみんなの得意技ですからね…。
もっと柔軟に自分のし切り方すらも疑えるようになれるのが目的ですよね?
今日も頑張ってください!
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