デジカフェはJavaScriptを使用しています。

JavaScriptを有効にすると、デジカフェをより快適にご利用できます。
ブラウザの設定でJavaScriptを有効にしてからご利用ください。

日本初の病院を作った人

2017年06月30日 23:57

日本初の病院を作った人


▼歴史に詳しい人は、ご存じでしょう。

戦国時代大分市に「日本初の病院」ができました。
作った人は、ルイス・デ・アルメイダ(1525年- 1583年)、
戦国時代末期の日本を訪れたポルトガル人です。
アルメイダは医師でしたが、1952年、商人として日本にやってきました。
そして、日本との交易で多くの財をなしました。
母国に帰れば、一生遊んで暮らせるほどの大金持ちになったでしょう。 
▼そんなアルメイダが、なぜ日本に病院を作ったのでしょうか。
また、一儲けしようと欲を出したのでしょうか。
はい、そうではありません。
違います。
彼が病院をつくったきっかけは、実にショッキングなことを見てしまったからです。
▼それは、赤ちゃんの間引きです。
これは当時の日本で広く行われていたことで、貧しい家の人々が、口減らしをするために生まれて間もない赤ちゃんを殺す風習でした。
たまたま、ある川で泣き叫ぶ赤ちゃんが親から殺される場面を目撃したアルメイダは、衝撃をうけます。
▼そして、悩んだ末、一大決心をするのです。
「殺される子を引き取って育てよう」
そのために、
豊後府内(大分県大分市)にとどまり、
私財を投じて乳児院を建てたのです。
乳児院では、2頭の雌牛を飼って貧しい子供たちに牛乳を飲ませて育てたといわれています。
けれども、彼らを取り巻く大人たちも貧しさや医学的知識の不足から病気になり、悩みを抱え、苦しんでいました。
▼そこで、彼はまた一大決心をします。
「自分の生涯を捧げて、奉仕しよう」
彼は1556年、自分の富をすべてイエズス会寄付し、修道士となります。
さらに、豊後府内の領主であった大友宗麟に願って土地をもらいうけ、1557年に外科、内科、ハンセン氏病科を備えた総合病院を建てます。
これが日本初の病院であり、西洋医学が初めて導入された場所です。
病院には、日本最初の医学校も併設されていました。
▼病院では、日本で最初の外科手術が盛んに行われたほか、食事療法の生活指導や巡回治療も行われました。
アルメイダは、病気で苦しんでいる人々や貧しくて治療を受けることができない人々を救いたいという気持ちが強く、とてもやさしい人でした。
その噂は九州はもとより遠く各地に広まり、多くの患者が訪れていたと当時の記録は伝えています。
アルメイダは、1580年マカオにわたり司祭となり、その後日本に戻り布教医療活動に専念しますが、1583年10月天草河内浦(熊本県天草市)で没しました。
冒険商人から無償奉仕の医師へと転身し、修道士司祭としても、日本で、貧しい病人や乳児に奉仕する生涯を全うしたのです。
大分市の府内城跡から南へ450m続く遊歩公園には、南蛮文化が栄えた当時の〝府内〟が感じられる銅像が数多く立ち並んでいます。
西洋医学発祥記念像、ポルトガルの青年医師アルメイダが、日本人助手とともに手術を行おうとする像です。

西洋医術発祥記念像(大分市)http://minkara.carview.co.jp/userid/157690/spot/515689/

▼このような偉人のすることは、とても自分はマネができないと多くの人は思うのではないでしょうか。
私もそうです。
けれども、そういう人から何かを学ぶことはできます。
まずは、感謝です。
医師アルメイダ献身によって、日本には西洋医学がもたらされ、多くの人が救われました。そのことに感謝すべきでしょう。
マネはできないけれど、感謝はできます。
さらに、私たちも自分の行いや言葉を通して人に感謝してもらえるようなことができるかもしれません。


★きっとよくなるヒント★
偉人に感謝して、その行いから学ぶ。(^.^)

このウラログへのコメント

まだコメントがありません。最初のコメントを書いてみませんか?

コメントを書く

同じ趣味の友達を探そう♪

  • 新規会員登録(無料)

プロフィール

なな♪

  • メールを送信する

なな♪さんの最近のウラログ

<2017年06月>
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30