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“普通”を捨てる勇気はあるのか

2017年12月11日 04:39

“普通”を捨てる勇気はあるのか

おはよう \(^O^)/

←『WALKING DEAD』
救世主を名乗る輩の
圧倒的な暴力による
徹底した弾圧を描く
season7をDVDで観る






Walking Dead
《歩く死体》…ゾンビが“普通”に暮らしていた人を襲い、襲われた“普通”の人が今度は自分がゾンビになり、他の“普通”の人を襲い、鼠算式に増えてゆくゾンビの群れ。



僅かに生き残った人たちの中で、覇権争いは今までもあった。だが、今度の“救世主”を名乗るニーガンの存在感は別格!
タメラ
躊躇い迷いが一切ない暴力―――それはあまりにもシンプルなだけに、最も強く、そして恐い。



絶対的服従しか許されない恐怖の支配に、人はそれを受け入れれば楽にはなる。

友と語らい、愛する家族と朝食を共にする平穏は2度とは来ないが、ニーガンの云うことさえ聞けば済む。

額に汗して必死になって働いて、稼ぎの大部分を渡しさえすれば、殺さないでいてくれる。

それまでの“普通”を捨て去って、服従することを“普通”にすれば、誰も死なずに済むからだ。








だが、それを生きていると、果して本当に云えるのだろうか?
















いやいや、待てよ。

額に汗して必死になって働いて、高い税金を払っている今と、一体何が違うんだろう。



勿論、今の日本で政府に逆らって、その場で撲殺されることなんて、北朝鮮じゃあるまいし、今はない。



が、自民の憲法改正案では、国民の健康な暮らしこそ保証されるが、人権の条文は削除される。

日本の未来像、一体何が違うんだ。













“普通”はイヤか、なりたいかって、“普通”が「大多数と同じ」って意味?

なら、「イヤ」だな。

大多数が必ずしも正しい正義とは限らないし、思わない。

間違っていると思ったなら、例え自分独りででも反旗を翻す自分でありたい。



勿論、天涯孤独フリーランスだからの意見だ。

“しがらみ”という荷物が重くて、愛する者が側にいる時、その手を振り切るだけの勇気があるのか。

それは、常に自分に問いたい。
























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