- 名前
- タナケン
- 性別
- ♂
- 年齢
- 55歳
- 住所
- 東京
- 自己紹介
- 口から生まれてきた?(←ナメック星人じゃないよ(笑))らしく,話したりするのが大好き...
JavaScriptを有効にすると、デジカフェをより快適にご利用できます。
ブラウザの設定でJavaScriptを有効にしてからご利用ください。
人の思いは心象風景
2006年05月24日 16:33
昔,教科書に「能面」について書かれた文章があった。
全体的な内容は覚えていないが,自分が覚えているのはこんなことだ。
「能面には決まった表情がない。しかし,表情がないことによって,それを演じる者が表情を表すことが出来る。悲しいとき,面を下にすることにより面に影が出来,悲しい表情となる。嬉しいとき,面を上にすることにより,面が明るくなり,嬉しい表情となる。」
最近,この「能面」の話をよく考えることがある。
最初の方は確か,色々な面を作って,色々な表情をつけていったが,結局上手く行かず,最終的に「能面」にたどり着く,というようなものだった気がする。
いろいろなことを極めていく(というか突き詰めていく)と,たぶん,全てのものが人間にも当てはまっていくような気がする。
若い頃は色々な物事に興味があり,何に対しても一喜一憂するが,そのうちそういったことが当たり前になっていき,行き詰まる。
「こんなはずではなかった」という思いに駆られる。
だからといって,どうすればよいか分からなくなる。
「昔は何も考えずとも,もっと楽しかったのに」という思いが募る。
でもここで思うのは,昔から,ものに表情などなかったのではないかということ…最終的にたどり着くのはある意味「能面」的なものではなかったのだろうか?
何かを見て「面白い」と思ったのは自分たちの方で,それを「当たり前」と思ったのも自分たちなのである。
もし,何かが変わったと感じるならば,それは自分たち自身なのではないだろうか?
それが自分自身で理解できると,ふとした瞬間に,今まで普通に見ていた周りの景色が妙に鮮やかに見えたり,特に何の気無しに存在していたものに意志があるように感じたりするのは,自分が周りをそう感じようと出来る気持ちになっているからなのではないだろうか?
ただ,そういう状況に本質的に至るためには,思いっきり笑ったり,怒ったり,泣いたり,楽しんだりした経験がなければならないと思う。
何かに悩み始めたときには,まず,思いっきり笑ったり,怒ったり,泣いたり,楽しんだりしてみることが大切なのかもしれない。
皆さんは,思いっきり「喜怒哀楽」を出したことがありますか?
※内容が重いので,画像だけは爽やかにしてみました…種子島の海岸の映像です
このデジログへのコメント
コメントを書く