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愛溢れる関係

2015年05月12日 13:24

拝啓

私を覚えていらっしゃいますでしょうか?10年以上前にお世話になりました金斗娜(きむ どぅな)、施設では金田斗娜(かねだ とな)の名前でお世話になっておりました。
ツツジが咲き誇り街を彩る今日、いかがお過ごしでしょうか?
私も誕生日を迎え24歳になりました。
現在私は栃木県那須塩原市にて、父と農業をし生計を立てています。
施設での毎日にあたり、●●様(私の亡くなった彼、以降私の彼と書かせていただきます)圭子様には大変お世話になり
また筆不精での連絡の遅れをお詫び申し上げます。

わずか2年ほどでしたが、施設での毎日は
私にとってかけがえのない日であり宝物でした。
予てから●●様(私の彼)に相談していましたが、圭子様にずっと秘密にしていたことを
お伝えしようと思い、筆を走らせております。

ご存知かもしれませんが、私は国籍北朝鮮です。
日本での言い方ですと在日3世ですが
養父は純血な日本人です。
圭子様は私の養父を存じていらっしゃるでしょうが
私は養女として戸籍にも登録されております。
産みの両親は共に在日2世であり、実母は養父の当時勤めていた会社の
社員食堂で働き、養父と知り合ったそうです。
清い交際を経て結婚の約束まで誓ったのですが
遊技業や不動産業を営む実父と知り合い、また財産に目がくらみ
養父よりも実父との結婚を望みました。

程なくして私が産まれましたが、夫婦仲が不仲になってきていたこともあり
私は実母と家を出ることを余儀なくされ
その後実母は継父と再婚子どもが産まれました。
私が自分の子でない継父にとっては、不要の子だったようで
母もまた私を捨てる決意をし、当時住んでいた神奈川県の施設に私を預けたそうです。

私自身は5歳くらいからの記憶しかないので
それまでの事を語るのも少しためらったりしますが
茨城の施設に移るまでは、香川石川鹿児島
全国の施設を転々と自分の意思とは関係なく転居を繰り返していました。
茨城の施設に移ったのが10歳の時
そして養父が現れたのが12歳の時です。
今から4年前の成人式の日、養父から●●様(私の彼)のお話を聞かされました。
当時42歳だった養父の下に●●様(私の彼)が現れ
「■■さん(斗娜の産みの母)をご存知でしょうか?」
と申されたそうです。
当時、養父未婚で会社勤め
かつて好きになった私の実母をずっと忘れられず、また子どもが産まれたことも
風の便りで知っていましたが
その後離婚をし、産まれた子供が施設に預けられたそうだ、といううわさも耳に入り
(好きになった女とは一緒になれないかもしれないが、子どもが施設に預けられるなんて
そんな酷い話はない。出来るなら僕が育てたい)という思いを抱え
必死に各施設をあたり私を探していたようです。
その話が●●様(私の彼)の耳に入ったのでしょう、
程なくして●●様(私の彼)は養父の存在を知り、連絡を取り
私のことを話したそうです。
養父はとにかく(子どもを施設に預けるくらいなら、私に引き取らせてもらえないか)
と●●様(私の彼)に相談し
また●●様(私の彼)も方々へ駆け回り諸手続きのお手伝いをして下さったと
養父が涙ながらに教えてくれました。

思えば養父に引き取られ、幸せであるはずの私が非行に走ったのは
一種の甘えだったのでしょう。
当時小学6年の私に(一緒にお風呂に入ろうか?)
といいお風呂に入っていてくれたのに、いつからか私はそれに嫌悪感を抱くようになりました。
年頃の娘の反応としては正しいかもしれないですが
同時に養父が私を性の対象として見ているのでは?という考えに変わり
それに反抗するように、不良グループとの付き合いが始まりました。
喧嘩・迷惑行為・飲酒喫煙売春妊娠中絶
私の素行は段々と悪いものになり
何度も警察や近所の方に父や●●様(私の彼)が頭を下げることを何とも思わず
只只、当時の自分を恥じるのみです。

私の転機となったのは、●●様(私の彼)からかけられたある一言でございます。
普通に通っていれば高校1年生であるとき
当時養父と暮らしていた千葉県に●●様(私の彼)が訪ねていらっしゃいました。
養父としばしの間会話をしたのち
私に話しかけてくださいました。
「自分を嫌いになったりするなよ」

養父は素行の悪かった私を心配し
かねてから良き相談相手であった●●様(私の彼)に幾度となく電話や手紙でやりとりをし
それらを経て訪問してくださったのでした。

私は自分の不満や家庭の矛盾を●●様(私の彼)に話し
また●●様(私の彼)はひとつずつそれを解決してくださいました。

思えばただの甘えと、普通ではない家庭の成り立ちへの不満だけでしたが
それからは私自身も驚くほど反抗する理由もなくなり
また養父の提案もあって、養父脱サラをし私たちは栃木県へ引っ越すこととなりました。

成人式当日のこれらの話の後
私は8年ぶりに養父と共に入浴しました。
(いい大人が父親とお風呂に入ったら誤解されるぞ)と父は困惑しておりましたが
自分でも驚くほど羞恥心を感じることもなく
また養父も私に、当時も今も変な気持ちや欲情しているわけでもないのを改めて感じることができ
ようやくですが本当の父子になれた気がしました。

あれから4年、今でも養父とは農作業の後
たまにですが入浴をしております。
圭子様にならご理解いただけると存じますが
決して如何わしい気持ち等はなく、幼児と親のそれに似たものを感じております。
入浴の度に(年頃の娘が、父親とお風呂なんてもう止めなさい)と養父から申されますが
私はとても大切で幸せな時間であると感じております。
国籍も血筋も何一つ交わることのない親子でございますが
共に家族であることを心より誇りに思っております。

事有る度に養父は(●●さん(私の彼)みたいな人に嫁げたら、お前は幸せになれるのにな)
と、今でも●●様(私の彼)の訃報を認めたがらず、また口惜しく感じているようです。
●●様(私の彼)が遠い存在になり、私も養父も寂しく辛い気持ちでございますが
一番近くで過ごされてきた圭子様にとっては、身を裂かれるより辛いことと理解しております。
私ども親子の心に●●様(私の彼)は今でも笑顔を絶やさず
元気な姿で生きております。
圭子様もまた、これからもご健勝でありますよう
切に親子ともども願っております。

実父・実母に対しての怨み辛みもございましたが
●●様(私の彼)に教えられた言葉のおかげでそれらもすっかり消え去りました。
「一番愛してくれている人が、一番近くにいるんだよ」
その言葉を胸に、これからも養父共々仲良く暮らしていけるよう
毎日を努力してまいりたいと存じます。

追伸
先日ようやく田植えを終えることが出来、次は各野菜の種まきが待っております。
圭子様も一度お遊びにいらしてください。
たいした御持て成しは出来ませんが、精一杯歓迎させていただきます。













始めは何のことかわかりませんでしたが
10年以上前に施設にいた女の子からのお手紙でした。



彼が亡くなってもう7年になろうとしていますが
改めて彼の(人への影響力)にただただ感心させられています


また一層、彼を好きになりました




掲載元
http://item.rakuten.co.jp/teddyshop/yy1356/

このウラログへのコメント

  • りいちkunのkun抜きだよ 2015年05月12日 13:43

    素晴らしい彼氏ですね

    そんな彼氏に愛されたイチゴちゃんも素晴らしいんですよ(^_^)v

  • 十三男 2015年05月12日 17:33

    すごく素敵なお話ですね。分けていただいて、それだけでうれしいです。
    貴女のピュアな心も彼と同じように

  • けちょん 2015年05月12日 23:12

    自分も一度ぐらい良い意味で人に影響を与えるようなことがあったらと良いな、と思いました

  • 2015年05月12日 23:48

    良かったね~

  • 甚衛門 2015年05月14日 01:24

    うんうん。

  • 文坊~ 2015年05月16日 19:02

    (T_T)

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