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悲しいけど素敵な話:命のバトン
2012年07月23日 21:12
1人か大事な方(達)と一緒の時にでも
「お母さんから命のバトンタッチ」
鎌田實(諏訪中央病院名誉院長)
『致知』2012年7月号より
僕が看取った患者さんに、スキルス胃がんに罹った女性の方がいました。
余命3か月と診断され、彼女は諏訪中央病院の緩和ケア病棟にやってきました。
ある日病室のベランダでお茶を飲みながら話していると、彼女がこう言ったんです。
「先生、助からないのはもう分かっています。だけど、少しだけ長生きをさせてください」
彼女はその時42歳ですからね。
そりゃそうだろうなと思いながらも返事に困って黙ってお茶を飲んでいた。
すると彼女が「子供がいる。子供の卒業式まで生きたい。卒業式を母親として見てあげたい」と言うんです。
9月のことでした。
彼女は後3か月、12月位までしか生きられない。
でも私は春まで生きて子供の卒業式を見てあげたい、と。
子供の為にという思いが何かを変えたんだと思います。
奇跡は起きました。
春まで生きて卒業式に出席できた。
こうしたことは科学的にも立証されていて、例えば希望を持って生きている人の方が、癌と闘ってくれるナチュラルキラー細胞が活性化するという研究も発表されています。
おそらく彼女の場合も、希望が体の中にある見えない3つのシステム、内分泌、自律神経、免疫を活性化させたのではないかと思います。
更に不思議なことが起きました。
彼女には2人のお子さんがいます。
上の子が高校3年で下の子が高校2年。
せめて上の子の卒業式までは生かしてあげたいと僕達は思っていました。
でも彼女は余命3か月と言われてから1年8か月も生きて、2人のお子さんの卒業式を見てあげることができたんです。
そして、1か月程して亡くなりました。
彼女が亡くなった後、娘さんが僕の所へやってきて、吃驚するような話をしてくれたんです。
僕達医師は子供の為に生きたいと言っている彼女の気持ちを大事にしようと思い、彼女の体調が少しよくなると外出許可を出していました。
「母は家に帰ってくるたびに、私達にお弁当を作ってくれました」と娘さんは言いました。
彼女が最後の最後に家へ帰った時、もうその時は立つこともできない状態です。
病院の皆が引き留めたんだけど、どうしても行きたいと。
そこで僕は「じゃあ家に布団を敷いて、家の空気だけ吸ったら戻っていらっしゃい」と言って送り出しました。
ところがその日、彼女は家で台所に立ちました。
立てる筈のない者が最後の力を振り絞ってお弁当を作るんですよ。
その時の事を娘さんはこのように話してくれました。
「お母さんが最後に作ってくれたお弁当はおむすびでした。そのおむすびを持って学校に行きました。久しぶりのお弁当が嬉しくて嬉しくて。昼の時間になってお弁当を広げて食べようと思ったら、切なくて切なくて、中々手に取ることができませんでした」
お母さんの人生は40年ちょっと、とても短い命でした。
でも、命は長さじゃないんですね。
お母さんはお母さんなりに精いっぱい必死に生きて、大切なことを子供達にちゃんとバトンタッチした。
人間は「誰かの為に」と思った時に希望が生まれてくるし、その希望を持つことによって免疫力が高まり、生きる力が湧いてくるのではないかと思います。
感動しました。心に響く…『誰かの為に』。
このウラログへのコメント
鎌田先生は、小さな事だけじゃなく、福島原発事故の件でも、昼夜問わず活躍されています。
管理貞操帯さん:色んな場面で活躍されてるんですね。素敵です
そうなんだよなあ。
「自分のため」じゃなく、「大切な人のため」と思う方が生きる気力が出るんだろうね。
hiro69さん:ですね。自分の為だけだとなぜ力があまり発揮されないんだろ?
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