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地の底に向け叫ぶ虚しさについて-終章Ⅰ

2008年03月16日 00:02

地の底に向け叫ぶ虚しさについて-終章Ⅰ

先週の今日、
こんな日曜日を迎えるとは
思ってもみませんでした

どうしようかと
未だに迷っています
ボクにはその景色を見る勇気が
その街のたたずまいに
目を凝らす気力が
まだ備わっていないと思うのです

ですから、とりあえず、デジタルの信号で
HDDにしまいこんでしまおうと思っています。

お久しぶりです
もう、一ヶ月と半分、過ぎました
今日はいささか冷たい風が吹きはしたものの、
東京はもう、桜も重い蕾を蓄え
春はすぐそこに待ち構えているかのようです

もはや呼びかけることさえ拒まれてしまったいま、ボクは二人称代名詞さえ喪い、この文章を続けなくてはなりません。
お察しの通り、
未だになにも処分できないままでいます。
気持ちも、物理も。
しかるに、時間は確実に記憶を風化させ、痛みを鈍らせ、周辺からじわじわと、そこにいられるのは迷惑だとばかりににじり寄り確実にボクの居場所を奪い、
どうやらもう、ここにぬくぬくと
病人面をして永らえることはできなさそうな気配です。
果たして、歩けるものやらどうやら、
治癒がどの程度まで進んでいるのか
自分の歩様で痛みを確かめつつ、
何処かに赴かなくてはなりません。
まるで砲声轟く荒野の野戦病院から、
着の身着のまま松葉杖一本あてがわれ
追い出されるような心持です。

ですから、既に、この文章をつづる意味合いさえ、よくわからなくなっているのですが、さしあたって、記憶の消え去らないうちに、ドラフトをしておかねば、いよいよ、総括をすべき時、その糸口さえみつからないことになってしまうという焦りもあって、いやいやながら、こうしてつづり始めた次第です。

未だに息苦しくなり、
まともに机に向かえないこともしばしば、
しかし、変化の兆しもなくはありません

それは恐らく、何かが終わる時、
はっきりと姿を現すものだろうと思います。
自分の意思だけで、乗り越えようとしていた事態なのですが、どうやらそういう才能も運も備わっていないらしく、
まるで秋から直結したかのような場違いな春という季節が、ボクの無力を見越したかのように、おせっかいな老母よろしく、
ようやく息を継げる風を
運んで来てくれたような気がします

その街で、音と共に生きる姿を
一度は見つめてみたかったのですが
それは叶わぬ夢に帰しました

今度は抱きしめてくれる優しい腕を
決して拒んだりすることのないよう
この国の汚れた街から
ひそやかにお祈りしています。

抱きしめる何をも持たないボクはやはり、言葉に生きるしかないようです。

次はすべてを総括しようと思います。
痛みがあろうとなかろうと。

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