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あなたにだけは・・・

2008年03月14日 01:15

あなたにだけは・・・

日本橋からさほど近くもない
けれどその名には日本橋とはいる
素敵な路地の残る街に、

その昔は綺麗な姐さんたちが
脂粉の匂いを風に乗せ
二階の窓からは三味線の音がこぼれ
粋な旦那衆が袖を引かれてうろついた
そんな隘路に面して
紅い灯をともす、
小さな居酒屋があって

いつ訪れても、
20席あまりのカウンターに座るのは
常連の客がほとんど、
されど常連と馴れ合うような
不愉快な応対を見せない
凜とした、
とても涼しい眼をきかせ、
過不足なく、客の心を満たす
気風のよさげな30代の男二人が
表を仕切るその店の
常連客という男がいて、

年の頃なら50代の半ば
大きな近眼眼鏡の奥に
いつみてもしょぼしょぼと
開いているのだかいないのだか
疲れて潤んだ様子の目
不潔感はないけれど、
いつもてかてかの髪の毛と
優れない顔色

ボクは赤坂にある彼のオフィス
その同居人女性
丸テーブルに90度の角度で座り
動物園のことを
話している

生態展示が、
どうのこうのと、
なけなしの情報を
どうすれば、企画書という商品に
することができるやいなや
とか、なんとか・・・

果たしてそれは、
商談ともいえない
たとえて言うなら、
消火器の押し売り
あるいは、
新聞の勧誘にも似て

駆け引きもなく
いかにも情熱のない
けれど言葉の数だけは
費やすボクの底意が
見透かされたのかどうか

ほっ

と、ため息をついた彼女
窓の外に目をやるために
体をいくぶん、右に開くと
それまでたっぷり目の生地を
しきりとたぐって
隠すような仕草を繰り返していた
ウールなのかカシミヤなのか
グレーのセーターの胸元
大きく開かれて
たわわなバストの隆起が少しだけ覗き
十数年も前から知ってはいて
たくさんの男と
暮らしたり別れたり
けれどボクにはよくその魅力がわからない
およそ女性を感じたことの無い
小柄なその人の胸に

こんなにおっきかったかな

いまさらの言葉が
思い浮かぶ間もなく、
より、目が吸い寄せられてしまったのは
その谷間の始まりにある、
小さな紅い痣のような徴

なるほど
それが隠したかったのか
と、慌てて目をそらしたそのとき、
ボクの背中に
傍らのデスクで
原稿を書いていたはずの
件の疲れた男から

だいぶ、疲れてるね

と、一言が投げかけられ

そうか、今日のお疲れは
昨日のベッドを
引きずっているわけね

などと思い至ると
見てみぬふり聞いて聞こえぬふりで
何をどう返せばよいのか
なんだかこっちも
ホントに疲れているような気に
なってしまって
おざなりな言葉が口をついて
出てしまう

徹夜で今日締め切りの仕事を
仕上げてしまおうかどうかと
迷っているうちに
成瀬を観ながら
寝ちまったんですよ

などと、嘘八百を並べてみた後で
そうだそんなことより先に
DVDお礼を言うべきだったと
慌ててしまったものだから
いかにもとってつけたような
もっとウソ臭い言葉が
出てしまう

こないだの作品、感服しました

感服?は、なんとしても
場違いな言葉だろうに
また慌てて言葉を繕おうと
振り向いてその姿をみれば

いすの背に体を預け
吸いかけのタバコ
頭上に組んだ手の指に挟み込み
天井を向き目をつぶる
つかれきった創り主の横顔

疲れてるね、なんて
言われたくない
昨日の夜をひきずるような
倦み疲れ果てた姿を
隠そうともしない
隠すこともできない
あなたにだけは・・・

生きていくって
大変だ

それでもセックス
疲れた男と女
命を燃やす

まるで二人に
明日なんて、無いと
駆り立てるように・・・

行こうよ今度

その疲れた口の端から
居酒屋の名前が出て
ボクはその店の
葱鮪の味を思い出しながら
あの店のカウンター
酔いつぶれてみることも
悪くないか、と思う

美しくその箸の先で
丁寧に身を、青葱を
小さな口元へと運び

美味しいな

なんて繰り返していた
もう二度と
隣り合うこともない面影を
アルコールの沁みたこころ
おねおねと、転がしながら・・・

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