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成程話:人間の究極の幸せ
2014年04月18日 23:13
日本理化学工業(株)会長、大山泰弘氏の心に響く言葉
二人の少女が入社した日のことは、今でもよく覚えています。
きれいに晴れた、暖かい日でした。
二人がタドタドしく挨拶するのを、社員たちは暖かいまなざしで見守っていました。
そして、拍手で二人を迎え入れたのでした。
「私たちがめんどうをみますから」という社員の言葉に嘘はありませんでした。
みなが二人の少女をかわいがり、本当によくめんどうをみてくれました。
彼女たちは、雨の日も風の日も、満員電車に乗って通勤してきます。
そして、単調な仕事に全身全霊で打ち込みます。
どうしても言うことを聞いてくれないときに、困り果てて「施設に帰すよ」と言うと、泣いて嫌がります。
そんなある日のことです。
私は、とある方の法要のために禅寺を訪れました。
ご祈祷がすみ、食事の席で待っていると、空いていた隣の座布団に、偶然にもご住職が座られました。
そして、こんな質問が思わず口をついて出ました。
「うちの工場には知的障害をもつ二人の少女が働いています。施設にいれば楽ができるのに、なぜ工場で働こうとするのでしょうか?」
ご住職は私の目をまっすぐに見つめながら、こうおっしゃったのです。
「人間の幸せは、ものやお金ではありません。人間の究極の幸せは次の四つです。人に愛されること、人にほめられること、人の役に立つこと、そして、人から必要とされること。愛されること以外の三つの幸せは、働くことによって得られます。障害をもつ人たちが働こうとするのは、本当の幸せを求める人間の証(あかし)なのです」
確かにそうだ…。
人は働くことによって、人にほめられ、人の役に立ち、人から必要とされるからこそ、生きる喜びを感じることができるのだ。
家や施設で保護されているだけでは、この喜びを感じることはできない。
だからこそ、彼らはつらくても、しんどくても、必死になって働こうとするのだ。
働くことが当たり前だった私にとって、この幸せは意識したことすらないものでした。
それがいかにかけがえのないものか、私は、生まれて初めて考えさせられました。
二人の少女が、一心にシールを貼り続ける、その姿。
そして、「ありがとう。助かったよ」と声をかけたときの輝かんばかりの笑顔。
私は、ご住職の言葉によって、その笑顔の意味を教えられたのです。
『利他のすすめ』WAVE出版
日本理化学工業は、社員の7割が身障者という日本一のチョーク工場。
大山会長は、「人は働くことで幸せになれる。であれば、会社は社員に『働く幸せ』をもたらす場所でなければならない」という。
仕事ができるありがたさは、仕事を辞めたり、働けなくなったときにわかる。
それは、病気になってはじめて、健康のありがたさに気づくのと同じ。
人にとって一番つらく悲しいことは、無視されることだという。
無視と同様なのが、「あなたは何の役にも立たない」「あなたは必要ない」そして存在の否定の言葉「ウザイ」等。
人も会社も組織も、まわりから認められ、必要とされるからこそ存在している。
「働くことによって、生きる喜びを感じることができる」
働けることのありがたさを、しみじみとかみ締めたい。
…私の弟も知的障害者だけど、仕事に行きたがってくれないかな…
このウラログへのコメント
それらの感覚は普段の日常でも体現出来るけど直ぐに当たり前に慣れられてしまいますよねやはり職場ですね
これ訳ありで、無茶苦茶判ります!
大げさな事は言えませんが
自分に出来る理解は、何時でも。。。。
SYUZO-さん:ですね職場からの影響大きいですよね
ゆうき2さん:なるほど この話に興味もっていただけて嬉しいです
どんな苦難にも負けない心にこそ「究極の」幸せがあると思いますが。
つまりは自分の心のありようですね。
koujiさん:そうですね私はまだまだな部分が多いです
私もそうですよ。
人間、誰もが「途上」にあるんですね。
だからこそ、「努力」の意味があるのでしょうね
koujiさん:ですよね途上だからまだまだこれから努力が必要なんですよね
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