- 名前
- くま
- 性別
- ♂
- 年齢
- 44歳
- 住所
- 福井
- 自己紹介
- atarashii deai
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正義
2009年06月04日 09:22
タイトルからしてまた語っちゃいます。昨日寝る前にいろいろ考えていました。寝る前に見たテレビ。ないようは、貧困な海外の村にてその貧困を解決する為に努力する話。物資を援助するのではなくお金を得る方法を教える。というもの。ぱっと聞こえは正義です。スーパーにいったら海外の蜂蜜しか無く国産の蜂蜜を作ろうとした取り組み。それで農村は豊かになりました。ここで問題。偏屈な僕は、その農村の人たちは裕福になりました。良かったと思います。しかし一方で、追い出された海外の蜂蜜農家はその分貧困になります。そこで、正義とはなんだろうと思いました。困っている人たちを助ける事で別の人たちから恨みを買うのです。で、疑問に思いました。ただ物資を与えているだけでは、自立は出来ませんが、恨みは買いません。どちらが正しい選択なのか。世の中は戦国時代。グローバルとは、色々な物が流通するけど、その一方で何か大切な伝統を壊しているのかもしれないです。
牛を殺して肉を食べ生きる。人は命を犠牲にして自分達の命を存続させる。それがこの世の中の法則。だからといって牛を殺す事は一つの罪。その罪を背負い続けて生きなければならない。生きるという事は、誰かを犠牲に死していくこと。ということは、むやみに貧困の村を救うという事を正義として評価するのはどうなのか。宮崎さんはもののけ姫でこんな表現をしていた。恨みや憎しみを増やすなと。人を殺せばその周りの人が殺した人を憎み恨み殺す。すると、殺された人は、殺した数人を殺す。殺された数人の周りの人たちはという風に恨みや憎しみは拡大していき、果ては、世界中憎しみや恨みの世界になる。
逆に平和にする為には感謝しか無い。自分の命を存続する為に犠牲になった物や人に感謝する。感謝の謝はあやまるという意味があるからそういう気持ちでいきなさいという事なのだろう。
このウラログへのコメント
> ひささん
キリスト教の「愛は~」は好きですね。
でも、生きるという事は考えるということだと思っているので、いろいろ考えたいです。
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